客車TEE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 19:05 UTC 版)
1974年5月26日のダイヤ改正から、シザルパンはフランス国鉄(一部スイス国鉄)のミストラル69形客車を用いた客車列車となった。同時に、夏ダイヤ期間にはミラノからヴェネツィアに延長されるようになった。客車化により列車の定員は増加し、また需要により柔軟に車両の増減が行なえるようになった。一部の客車はパリ - ローザンヌ間のみ連結されたが、これはシザルパンがフランスとスイスを結ぶ列車と、フランスと北イタリアを結ぶ列車の2つの役割を兼ねていたことの反映である。ただしパリ - ミラノ間の所要時間は、ヴァロルブとドモドッソラでの機関車交換時間が必要となったため、8時間前後にまで延びている。 1977年10月7日にドモドッソラ周辺で発生した水害のため、シザルパンはパリ - ローザンヌ間に短縮された。10月18日にはパリ - ドモドッソラ間の運行を再開し、イタリア国鉄はミラノ - ストレーザ間に臨時列車を運転して、ストレーザ - ドモドッソラ間は代行バスで連絡した。バスの遅れや復旧工事の影響により、パリ行きシザルパンのパリ到着は定刻より45分から60分遅れるのが常であり、これはスイス - フランス間の利用者には不評であった。そこで12月25日からパリ行きシザルパンは、ブリーク始発でローザンヌ - パリ間では所定のダイヤで走る列車と、ドモドッソラ始発でパリに深夜に到着する列車の2つに分けて運行された。1978年1月15日からはドモドッソラ発の時刻を早めることで再び一本の列車に統合された。ミラノまでの復旧後も単線の仮橋が使われていたためダイヤの乱れは続いた。運行が正常に戻ったのは1978年の夏ダイヤからであった。 1979年夏を最後にヴェネツィアへの延長は打ち切られた。またこのころからシザルパンの所要時間は延び始め、1981年にはパリ - ミラノ間が8時間30分となった。同年9月にTGVがパリ - リヨン間で運行を始めると、TGVとインターシティ「モン・スニ」(リヨン - ミラノ)を乗り継ぐことで、パリ - ミラノ間を直通のシザルパンよりも短い8時間強で移動できるようになった。
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