客貨分離へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 13:37 UTC 版)
「高島駅 (神奈川県)」の記事における「客貨分離へ」の解説
続いて、1917年(大正6年)6月17日に鶴見と高島を結ぶ複線の貨物線が開通した。これにより、すでに開通していた高島 - 程ヶ谷間と合わせて鶴見 - 程ヶ谷間の貨物線が開通し、横浜駅を経由する旅客列車と高島駅を経由する貨物列車の間で客貨分離が行われるようになった。こうして当駅は鶴見から程ヶ谷への東海道本線貨物線の途中に位置して東横浜・横浜港への支線が分岐することになり、これにより横浜港の海陸連絡設備が完成することになった。また同日、東神奈川と当駅を結ぶ連絡線も開通し、横浜線からの貨物列車が高島線に乗り入れられるようになった。ただしこの線路は構内の西側につながっていて東横浜・横浜港方面への線路とは直接つながっておらず、行き来には転線作業を行う必要があった。これらの改良工事により高島駅の重要性が高まり作業量が増大したことから、1921年(大正10年)12月構内改良工事が行われている。 1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生し、高島駅でも駅舎が焼失するなどの大きな被害を受けた。被害を受けた横浜の鉄道網の再建計画に当たって、横浜駅を3代目の現在の位置に移転することになり、1928年(昭和3年)10月15日に開業した。また東京への貨物列車の操車能力の逼迫を受けて、1929年(昭和4年)8月21日に東海道本線の貨物支線である通称品鶴線が品川 - 鶴見間に開通し、この路線上に新鶴見操車場が開設された。さらに鶴見から本線に沿って程ヶ谷へ至る貨物線も開通し、程ヶ谷から平塚まで既に存在していた貨物線と合わせて、品川から平塚までの客貨分離が完成した。こうした一連の整備により高島 - 程ヶ谷間の貨物線は不要となり、同年9月16日に廃止となった。こうして横浜の臨港貨物線は鶴見・東神奈川で本線から分岐した先にある袋小路に位置することになり、新鶴見操車場を核として、高島駅の操車設備で補助的な操車作業を行う形態に移行した。 「高島線#関東大震災と再度の鉄道網再編」および「品鶴線#詳細」も参照
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