四方木立坑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 13:05 UTC 版)
「中山トンネル (上越新幹線)」の記事における「四方木立坑」の解説
1972年(昭和47年)2月8日、東京新幹線建設局管内で最初の工事として、四方木工区の工事が佐藤工業に対して発注され、同年4月に着工した。四方木工区は当初計画では大宮起点106 km300 m地点から109 km200 m地点までの2,900 mを担当することになっており、107 km734 m地点の下り列車に対して本線左側20 mの離れの地点に立坑を建設して取りついた。立坑の地表面から施工基面までの深さは336.6 m、施工基面より下にさらに35.0 m掘り、総深度は371.6 mである。立坑の内径は6.0 mである。 立坑を掘るには、20 - 40 m程度掘削してから覆工(コンクリートで巻き立てを行う)するロングステップ工法と、1.5 - 3.0 m程度掘削してすぐに覆工するショートステップ工法があるが、湧水が多く地質の悪い中山トンネルでは地山(トンネル周辺の地盤)の緩みの少ないショートステップ工法が採用され、1回の覆工長を2.4 mに設定した。ただし深度173 m以深は1.5 mピッチとなっている。掘削作業では、穴をあけてダイナマイトを装填して発破を行い、エキスカベータを底に降ろしてずり(残土)を集めてキブル(立坑において資材運搬に使用する大きなバケット)を使って搬出し、その後に壁面のコンクリート打設を行うという手順を繰り返して掘り下げていった。掘削中に発生する湧水対策として、揚程40 m、揚水量500リットル/分のタービンポンプを2系統、30 m間隔で設置して地上へ揚水するようにしたが、湧水量の増加に揚水が追い付かなくなり、3回にわたる揚水計画変更により1,500リットル/分のポンプを6系統備えたものに増強され、これ以外に予備1,500リットル/分、また清水用深井戸ポンプ揚程160 m、3,000リットル/分も備えた当初の12倍の揚水能力へ向上が実施された。 4月の着工後、19.2 m地点まで掘り下げを行うともに立坑掘削の設備の準備を進めて、掘削設備の完成した10月からは本格的に掘削が開始された。掘削が86 mまで進んで地下水位に到達した時点から湧水が始まり、次第に水量が増加していった。深度100.8 mに達した1972年(昭和47年)12月29日より第1回の坑底注入が実施された。坑底注入は、立坑の底から下へ向けて多数のボーリングを実施して、セメントミルクや水ガラスを注入して坑底から約30 mの範囲で地質改良を行って、湧水を止める作業である。坑底注入作業中は坑底がそのための機械に占拠されてしまうため、その期間中掘削は止まってしまうことになった。1973年(昭和48年)1月27日から掘削を再開したが、すぐに湧水が増加してしまい、第2回坑底注入を迫られることになった。こうして工事は掘削と坑底注入の繰り返しで進められることになった。第3回坑底注入では、坑底にカバーコンクリートを打設してからボーリングを実施しようとしたが、厚さ2.4 mのカバーコンクリートが水圧で持ち上がってしまい、7.2 mまで厚さを増加させなければならなかった。深さを増すにつれて水圧はさらに増大して施工条件は悪化していき、当初見込んでいた月間50 mの掘削など到底望めない状態となった。結局、第1回100.8 m、第2回112.8 m、第3回139.2 m、第4回152.3 m、第5回162.9 m、第6回175.6 m、第7回204.7 m、第8回318.0 mと、都合8回の坑底注入を繰り返すことになった。 深さ158 m付近で堅固な安山岩の層に入ったが、10 mほど下で再び未固結な火山噴出物層に入ることは予測されていたため、この安山岩層を利用して深さ162.9 m地点で立坑周辺に鉢巻状にトンネルを掘って注入基地を設けることになった。これは坑底で注入を行うとその期間掘削が中断してしまうため、立坑の周辺に設けた注入基地からボーリングして立坑周辺へ注入を行うことで、注入と掘削を同時並行して進めるものであった。しかし多少の効果はあったものの、注入基地からの注入距離が長くなるにつれて効果が薄れ、期待通りの成果とはならなかった。 こうした悪戦苦闘の末、1976年(昭和51年)8月12日についに371.6 mの立坑の掘削工事を完了した。立坑を建設した後、本坑施工の準備のために立坑設備の工事(バントン工事)を行った。これは立坑にエレベーター、ずりだしスキップ、揚水管、風管、コンクリート管、高圧ケーブルなどを設置するもので、1977年(昭和52年)4月27日に着手し11月30日に完了した。 四方木立坑の工事に際して発生した他の問題としては、排水処理の問題がある。四方木立坑の湧水は、吾妻川の支流である関口沢川に放流されていた。この川はイワナやヤマメの漁場であり、また中流部にわさび田、養鱒場があって、下流では田んぼにも水が使用されているため、排水中の無機物を除去する対策を必要とすることになった。このため毎分10トンの処理能力を持つシックナー(排水処理設備)を設置し、凝集剤としてポリ塩化アルミニウム (PAC) を使用して無機物除去を行った。さらにコンクリート打設に伴って排水のpHが上昇したため、硫酸を投入して中和を行った。ところが立坑内の湧水増大に対応するために注入薬剤を効果の高い有機性薬剤に変更したところ、シックナーの処理効率が低下し放流水の生物化学的酸素要求量 (BOD) が上昇し、川に水わた(鉄バクテリアの一種)が発生して汚染されることになった。これに対して接触酸化装置の導入や改良の対策が実施された。さらに湧水量の増大に対応してシックナーの増設や、中和に伴う硫酸イオン増加の悪影響に対処するために炭酸ガスによる中和設備を導入するなど、改良を行ってきた。また排水処理施設の負荷軽減を図るため、注入基地より上部からの綺麗な湧水を別途専用のポンプで揚水して、処理設備を通さずに直接放流するようにしていた。同様の排水対策は、他の工区でも実施されている。
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