反応および影響
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2011年4月15日に、公明党の赤松正雄衆議院議員は、福島第一原子力発電事故がレベル7とされかつ放射線の排出量がチェルノブイリの十分の一とされたことに対して、山下の「レベル7ということについて非常に遺憾に思う、いきなりそこに上げてしまうということは全然大きな問題である[…]その数字の背後にある中身の違い、チェルノブイリと今回の中身が違うということについてしっかりと発信していかないといけない。[…]小さい日本だから、日本が丸ごと汚染されているように受けとめられているのは間違いない」という発言を引用しつつ、外国に向けてどういう発信をされたのかと聞きたいと要望した。 2011年4月27日に、自由民主党の河井克行衆議院議員は、3月21日の山下の講演での発言に触れ、「とんでもない発言のオンパレード」であるとして疑問を呈した。さらに、8月9日には、福島県が行う県民健康管理調査事業について山下が関わっているので安全だという結論以外出てきようがないのではないかと思っていると発言した。 同日には公明党の佐藤茂樹衆議院議員は、山下の「百ミリシーベルト以下の被曝線量では健康に与える影響は証明することはできません、だから私は、百ミリシーベルト以上は心配しましょう、これ以下はすぐには全く心配要らない、そう言っています」という発言から、(年間)二十ミリシーベルトを基準にしたことに対して住民が納得できる説明が要ると述べた。 福島第一原子力発電所事故で放出された放射性物質を「放射線汚染分布地図」として作成した地質学者で群馬大学教授の早川由紀夫は、山下の発言に対し、ツイッターで「山下俊一は悪人だが責任はない。責任は、無学で無教養で無見識で無自覚の福島県民にある。究極の自己責任だ。失うものは大きいだろう」と と発言した。早川が勤務する群馬大学は早川の一連の発言を「福島県の被災者や農家の人々に対する配慮を著しく欠く」「国立大学の教授として不適切な発言」として訓告処分とした。 市民団体『子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク』は、山下が「100mSvまで放射線を浴びても大丈夫。今まで通り子供を外に出して下さい」という趣旨の発言をしたとして、アドバイザー解任を要求する署名活動を行った。また、反原発活動家で作家の広瀬隆とルポライターの明石昇二郎は、山下を「100ミリシーベルトまでは安全であると繰り返し、福島の人々に被ばくを強要させてきた」として、東京電力会長・社長等と併せて「業務上過失致傷罪」で刑事告発した(この告発は約1年後の2012年8月1日、東京地検と福島地検に受理されたが、2013年9月9日、不起訴となった)。告訴団はこのうち6人に絞って審査を申し立て、東京第五検察審査会(検審)が2012年7月、勝俣元会長ら3人について起訴相当と判断。地検は再び不起訴処分としたが、東京第五検審は2015年7月に起訴すべきだと再議決し、強制起訴が決まった。2016年2月29日に、東電の勝俣恒久元会長 (75) ら旧経営陣3人は東京地裁に在宅のまま強制起訴された。 山下を「ミスター100ミリシーベルト」 や「ダマシタ」、あるいはアウシュビッツのヨーゼフ・メンゲレと比較して「人の姿をした悪魔」 などと揶揄する人たちもいる。 福島県民からの反発や批判を受け、山下は「(福島県)を去るのも留まるのも、覚悟が必要」と発言し、子どもについては「過保護を否定はしないが、子どもには苦労をさせるべきだ。ストレスの中できちんと自己判断する苦労。○×の答えがないグレーゾーンでリスクと便益を判断する。海図のない海に出るのが、覚悟の意味です」と主張し、状況を「僕と県民の我慢比べだね」と評した。 長崎大学長の片峰茂は「福島県に赴き、現場が抱える問題に直接接しながら、専門家として福島の原発事故による健康影響について一貫して科学的に正しい発言をしているのが山下教授であると、私は思っています」 という山下を擁護する声明を出した。長崎県知事中村法道は、6月24日の定例記者会見でアドバイザー解任の署名運動を質問された時、「非常に残念なお話だと思っております。福島で被災直後からこの放射線漏洩(ろうえい)に関して、非常に放射線医療に詳しい先生が現地にお入りになられて、専門的な立場からさまざまなアドバイスをなさってこられたし、よくおっしゃっておられるように、『あなどってはいけないけれども、怖がり過ぎてもいけませんよ』というような専門家の立場から適切なアドバイスをしていただいてきたと思っております」と回答している。週刊新潮は、「長崎大大学院の山下俊一教授。この被曝医療の権威が福島県のアドバイザーに就任するや、『リスクの軽視だ』と袋叩きに遭っている。環境団体や人権団体が解任を求めて署名活動まで始めたが、データに基づく科学者の主張を感情論で封じる危険な匂いが・・・」とバッシングに対する批判記事を掲載した。 フォトジャーナリストの広河隆一が当時編集長を務めていた雑誌DAYS JAPANは、2012年10月号で山下の発言を収録し、当時の全国会議員および福島県の知事、13市長、46町村長に配布し、増刷も行った。広河隆一はその後の2013年8月にDAYS JAPAN編集長を辞任している。 2013年4月30日、福島県副知事より、福島県で展開してきた被ばく医療体制の構築や医療活動への支援に対する感謝状が山下と長崎大学長の片峰茂に贈られた。 2013年8月21日、福島県民から選ばれた「うつくしま復興大使」3名が長崎大学を訪問した。片峰茂学長と山下に面会して復興への思いなどを語り、起き上がり小法師(こぼし)などを贈った。
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