反原発活動
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2011年4月9日、自身のTwitter上にて「黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ」と発言し、翌日の4月10日には福島第一原子力発電所事故(東日本大震災)に関連した原子力撤廃デモへ参加した。同5月25日、Twitter上で「原発関連の発言が原因で同7、8月に予定されていたドラマの仕事を降板することになった」と、発言した。ただし、所属事務所はドラマの仕事があったことを否定している。同年5月27日、所属事務所のシス・カンパニーを退社。会社から慰留されたが、最終的には「事務所に迷惑をかけるわけにはいかない」という自身の意思による。「オペレーション・コドモタチ」公式サイト上で「東北で生活するのはあり得ない。がんになるのを待っているだけ」「このまま放射能汚染が続くなら、俳優業引退・疎開も考えている」と述べている。 7月11日、佐賀県庁で行われた反原発デモに参加。玄海原子力発電所廃止を訴え、「知事は出てこい」など訴えながら、県知事の古川康に玄海原発再稼働中止の請願書を渡そうと、約150人のデモ隊の一人として佐賀県庁に進入。1時間ほど県職員や守衛警備員らともみ合ったが、知事に嘆願書を手渡すことはできず職員への手渡しにとどまった。今後も反原発デモがあれば参加する意向ということである。この顛末について8月、京都市在住で京都党党員の行政書士が建造物侵入の容疑で佐賀地検に告発し、9月20日に受理されたことが告発者当人を名乗るブログにて事の次第を掲載され、一部マスメディアでも報道された。告発状の内容の一部は報道によれば「憲法が保障する表現の自由から著しく逸脱している。法治国家として是認できない。被告発人のような過激なものを野放しにせず、厳重な処罰が行われるよう、速やかに捜査に着手することを求める」などとされている。 同月13日、自身のツイッターにて「遂に菅さんが脱原発宣言した。震災から4ヶ月、険しい道のりだったけど、やっとここまで来た。そして、こっからが更に険しい。でも、頑張らなきゃね。子ども達の未来のために。」 とつぶやき、同日行われた当時の首相である菅直人の記者会見を評価している。 同月18日、環境NGO「欧州放射線リスク委員会」委員の物理化学博士クリストファー・バズビーの講演会に参加。合間にツイッターで講演を実況した。フリーになってからツイッターのフォロワーが11万人を超過。「欧州では(内部被ばくの危険性を示す)データで出ている。食べられないものが出てきて、病気の人も増えて労働力が下がっていくことを食い止めたい」「将来の日本の、そして子どもたちのために、僕が動くことでリスクを訴え続けていかなければならないんです」「今は、ツイッターに興味がないもっと年齢が上の層にも、僕の声を広げていきたい。だから、取材はこれからも受けます」と今後も反原発活動を続けることを改めて明かした。 7月20日のトークショーにて、反原発活動を行うきっかけは、2011年4月にソフトバンク社会長孫正義のツイッターにて「原発に賛成?反対?アンケートとってみよう」というつぶやきに、原発反対とつぶやいたが「抑えていたものがあふれたのか、涙が止まらなくなり、1人で嗚咽していた。それで、俺は原発反対を訴えていこうと決めた」と語った。山本自身は8年ほど前から母親の薦めで環境保護団体「グリーンピース」の支援をしていたが、原発に対し「未来に負の過去を残すようなもの」という不安を行動に起こすことなく過ごしており、今回の原発事故が起こったことから「放置してきた自分に怒り、悶々としていた」とのことである。 7月23日に龍谷大学で行われた講演会を聴講していたが、サプライズゲストとして「日本政府がやっていることは、日本の将来をあきらめたとしか思えない。このままだと日本は核廃棄物の処理場になってしまう」「この状況を変えるには世論が変わるしかない。そのための底上げの活動を、草の根でやっていけたら」などと5分ほど演説をした。 自身の右側頭部に発症した円形脱毛症について被曝の影響だと主張している が、同時に「枝野さんが直ちに影響無いって言ってたから違うと思いますけど」と発言しているため、正確には被爆の影響だとは考えていない。 自身がTwitCastingにて2013年10月24日に配信したライブ映像の中で「ベクレてる(放射能汚染されている)んやろなぁ、国会議員に出すお弁当は」と述べた。山本太郎はジェイ・キャストの取材に対し、「ベクレてる、というのは放射能汚染されているという意味で使っています」と述べた。
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反原発活動
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2011年3月23日には自身のブログに東北地方太平洋沖地震への気遣いと、原子力撤廃を訴え、話題となった。このブログは2ちゃんねるやツイッターで拡散され、孫正義の「同意!」他、坂本龍一、小川和久らもリツイート(RT)し、高橋源一郎、池田香代子等は絶賛した。なお、RTは数万件に及んでいる。同年5月7日には、代々木公園で行われた反原発デモ「原発やめろ渋谷・超巨大サウンドデモ」に参加した。 その後、6月11日には、新宿中央公園及び周辺で行われた反原発デモ「原発やめろ新宿デモ」に参加、新宿東口アルタ前で演説と童謡「ふるさと」を歌唱した。 2012年5月には、脱原発をテーマにした楽曲「LOVE!LOVE!ハイロ!」を発売。同年6月には、総理官邸前で行われた大飯原発再稼動反対デモにも参加している。同年7月には、国会前で行われた首都圏反原発連合主催・再稼動反対デモの司会も担当している。 2012年7月、新潟県苗場で行われた第16回フジロックフェスティバルではフェスティバル史上最年少歌手としてアバロンステージ・アトミックカフェにて脱原発をテーマにした楽曲「LOVE!LOVE!ハイロ!」を披露した。
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