反右派闘争・文化大革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:31 UTC 版)
「中国におけるイスラームの歴史」の記事における「反右派闘争・文化大革命」の解説
「沙甸事件」も参照 1958年にジャフリーヤの教主だった馬震武が、400人ほどの全国各地のムスリム代表が集まった座談会で極右分子として公職追放された。これをきっかけに民衆の宗教活動が停止され、モスクは破壊された。こうした動きに対して東郷族のムスリムは反乱を起こし、多くの犠牲者を生んだ。しかし、その一方で回族集中地域では義務教育が実現され、衣服や筆、紙などが無償で提供された。1966年からは文化大革命が始まった。都市でのイスラームの活動はムスリムの子供や若い回族によって強制停止させられ、モスクは閉鎖された後に工場として転用されたり、民衆によって破壊された。イスラーム的な出版物は全て停止され、中国伊斯蘭教協会も活動を停止した。他にも宗教を罪名としてムスリムを逮捕したり、養豚を強制されたムスリムもいた。また、1975年には人民解放軍が回族の村を取り囲んで発砲し、900人以上が殺害された沙甸事件が起こった。
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