初期の緑色火球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 07:50 UTC 版)
初期のいくつかの報告は、1948年11月後半から来たが、しかし最初は軍用の緑色閃光(military green flare)として忘れ去られた。1948年12月5日に、飛行機乗員2人がべつべつに、1人は軍人(空軍C-47、キャプテン・ゴード(Captain Goede)、午後9時27分、アルバカーキの東方10マイル (16 km))で、1人は文民(DC-3、パイオニア・フライト、午後9時35分、ラス・ヴェガスの東方)、それぞれが「緑色火球」("green ball of fire")を見たと主張した。C-47乗組員は、ラス・ヴェガス近くで22分前に同一の物体を見ていた。軍事乗組員は、光を、それは上向きに、それから下向きでなく平らにアーチした以外は巨大な緑色の隕石と評した。文民乗組員は、光を、軌跡が隕石にしてはあまりに低く平らな軌跡をしたと評したが、それは最初、自機と並んでそして前方にいたが、しかし衝突のコースを直進してきて、物体が満月の大きさに見えたときパイロットは飛行機を外さざるをえなかった。AFOSIの調査者2人は - 2人とも経験のあるパイロットであった - 12月8日の晩に飛行機を飛ばしているあいだに緑色火球を目撃した。彼らは、自機らの上、約2,000フィート (610 m)にあって、空軍でふつうに使用される緑色閃光にざっと似て、ただし、「はるかにより激しい」("much more intense")そして明白に「かなりいっそう明るい」("considerably brighter")と言った、光は、ほとんど瞬間に、最高の輝きになるようにおもわれた。報告は、光は「流れ星、隕石、あるいは閃光よりも明確に大きく、明るかった」("definitely larger and more brilliant than a shooting star, meteor or flare")と述べた。光は、「ほとんど平らに、地上に平行に」("almost flat and parallel to the earth")動きながらわずか数秒間、続いた。光の「軌跡はそれからすばやく落ち」("trajectory then dropped off rapidly")、「赤みがかったオレンジ色の破片の尾を」("a trail of fragments reddish orange in color")ひいてそれから地面のほうへ落ちた。英語版[要出典] 翌日、AFOSIは、ドクター・リンカーン・ラパズに相談したが、彼は、ニューメキシコ大学(University of New Mexico)からの天文学者である。英語版[要出典]ラパズ自身は、12月12日に「緑色火球」("green fireball")を見たが、これはまたロス・アラモス国立研究所でも見られ、そのためラパズは三角測量を使用して軌跡を決定することができた。これから、ラパズは、軌跡の中心はロス・アラモスの真上であることを発見した。英語版[要出典] 12月20日の空軍宛ての手紙で、ラパズは、物体は隕石であるにはあまりにおそく動き、低い高度で飛んでいる隕石に典型的であろう「スパークあるいは埃の雲の尾」("trail of sparks or dust cloud")を残していないと書いた。英語版[要出典] 1949年1月13日に、以下のメッセージは、テキサスの第4軍司令部(Fourth Army Headquarters)の軍諜報機関(Army Intelligence)のディレクターに送られた:「ニュー・メキシコの工作員らはたいへん心配しています...ある外国勢力は、自己分解するように設計された成層圏装置のついた「検出弾」('sensing shots')を作っている[かもしれない]...現象は、外国勢力による放射線戦争実験の結果[であるかもしれない]...光線は殺人的であるかもしれない...飛行機墜落の原因は近年におこっている...これらの事象は、特に敏感な施設の付近で起きているのでたいへん重要なので、科学委員会は派遣される[べきで]...状況を研究するために」("Agencies in New Mexico are greatly concerned . . .Some foreign power [may be] making 'sensing shots' with some super-stratosphere成層圏 device designed to be self-disintegrating . . . The phenomena [may be] the result of radiological warfare experiments by a foreign power . . . the rays may be lethal or might be . . . the cause of the plane crashes that have occurred recently . . . These incidents are of such great importance, especially as they are occurring in the vicinity of sensitive installations, that a scientific board [should] be sent . . . to study the situation.")英語版[要出典] 1月30日に最も明るく、広く見られた火球目撃は、ニュー・メキシコ、ロズウェル(Roswell)の近くでおきた。翌日、FBIは、陸軍および空軍諜報によって空飛ぶ円盤と火球は最高秘密であると知らされた。ラパズは、FBIと軍事諜報の助力を得て、幾百人もの目撃者にインタヴューし、そしてふたたび軌跡を三角測量することによって破片を回収しようとしたが、しかしふたたび不成功であった。英語版[要出典] ラパズは、自分自身の目撃と無数の目撃者のインタヴューののち、「緑色火球」("green fireballs")は人工的な現象であると結論していた。英語版[要出典]2月8日に、彼は、ドクター・ジョセフ・カプラン(Dr. Joseph Kaplan)に会ったが、彼はUCLAの地球物理学者で空軍科学諮問委員会(Air Force Scientific Advisory Board)のメンバーであった。 空軍のためのラパズの非公式な科学的な研究は、ただちに公式になり、「空中現象会議」("Conference on Aerial Phenomena")とよばれ、2月なかばにロスアラモス国立研究所でデータをレヴューするために召集された。英語版[要出典] 科学者らは、機器局のネットワークは、火球を写真し、分析するために設置されるべきであると感じた。英語版[要出典] 1949年4月までに、同様の目撃は、テキサスのフォート・フード(Fort Hood)の核兵器貯蔵施設の上空で報告された。英語版[要出典]侵入はあまりに重大と見なされたので、空軍とちがって陸軍はただちに観測ネットワークを設置したほどである。英語版[要出典] 7月24日に、緑色火球は、ニュー・メキシコ、ソコロ(Socorro)近くに落ちるのが観測された。英語版[要出典]埃のサンプルは、そこのマインズ学校(School of Mines)で集められ、そして大量の銅が含まれているのがわかった。英語版[要出典]ラパズは、銅は、緑色火球の特徴の、同じ黄-緑色で燃えるので、これをたいへん重要だと考えた。[疑問点 – ノート]彼はまた、もし銅片は緑色火球から来るならば、銅は隕石起源の埃にけっして見つけられないから、それらは隕石起源の埃にけっして見つかるはずがないことに注目した。英語版[要出典]ラパズは、さらに空気と土のサンプルは火球が見られた地域で取られることを提案した。 10月14日に別のロス・アラモス会議は招集された。英語版[要出典]パズルの中には、突然の襲撃があって、そしてニュー・メキシコでの目撃の高い集中は自然現象とはまったく異なっていた。これにもかかわらず、火球はその起源において大気的であると決定された。計器観測は、- 写真、三角測量、分光器 - 謎を解くのに本質的であると見なされた。 11月3日にドクター・カプランは、プランを、ペンタゴンの空軍科学諮問委員会に持ってきた。カプランはこのときまでに、火球はまれな隕石の新種であるかもしれないと決めていた。英語版[要出典]がそれにもかかわらず、科学者の大部分は、明るさ、軌跡、そして音の無さに当惑していた。英語版[要出典]隕石仮説に矛盾するようにおもわれて、カプランはまた言った「この方向の高い選択性は、あるグループがロス・アラモスを新種の兵器で針先で刺し貫こうとしているようにおもわれます。」("This high selectivity of direction seems to indicate that some group was trying to pinpoint Los Alamos with a new sort of weapon")英語版[要出典]パニックの可能性の懸念と引き続きの秘匿の必要が表明された。
※この「初期の緑色火球」の解説は、「緑色火球」の解説の一部です。
「初期の緑色火球」を含む「緑色火球」の記事については、「緑色火球」の概要を参照ください。
- 初期の緑色火球のページへのリンク