初期の聖霊派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/07 23:41 UTC 版)
詳細は「聖霊運動」を参照 テルトゥリアヌスも参加したことで知られるモンタノス派は異言を話したとも言われる。1830年代の、エドワード・アービングや、メアリー・キャンベルは異言を語り、いやしをした。これがペンテコステ派につながったとされている。 19世紀後半のアメリカで、聖霊の降臨による癒しと三度の浸礼による洗礼、キリストの再来が近いことなどを説き多くの信者の支持を得たジョン・アレクサンダー・ドウィ(英語版)は、1896年にシカゴでキリスト教カトリック使徒教会(英語版)を設立した。1900年にはイリノイ州シオンに拠点を構え、シオンのキリスト教カトリック使徒教会(CCACZ)として聖霊による治療儀礼を行い、禁欲的な集団生活を実践した。CCACZはペンテコステ運動と同調して1904年に南アフリカで伝道活動を行った。1908年にヨハネスブルグでオランダ人牧師ピーター・ロルフが受けたペンテコステを契機として、聖霊の憑依を受けたと告白するアフリカ人の信者が続出し、伝道は拡大した。1910年代から1920年代にかけてアフリカ人の手によって幾つものシオニスト系独立教会が組織され、今日でも南アフリカ、ジンバブエを中心に南部アフリカの一大宗教勢力となっている。
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