再就役と湾岸戦争とは? わかりやすく解説

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再就役と湾岸戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 03:24 UTC 版)

ミズーリ (戦艦)」の記事における「再就役と湾岸戦争」の解説

海軍長官ジョン・Fリーマンによる「600隻艦隊構想達成努力によりミズーリ1984年再就役決定し1986年5月10日サンフランシスコ再就役した。姉妹艦同様に最新鋭武器類増設された。32発のBGM-109トマホーク・ミサイル16発のハープーン・ミサイルが発射可能な箱形発射筒、敵の対艦ミサイル迎撃する4基のファランクスCIWSなどが増設され、最新電子機器搭載された。国防長官キャスパー・W・ワインバーガー再就役式で「これはアメリカ海軍力再生を祝う一日である」と10,000人の聴衆伝えた乗組員には「君たち前任者足音聞け。彼らは名誉と義務重要性君たちに語る。彼らは自身伝統君たち思い出させる。」と語った。 4ヶ月後に新たな母港ロングビーチから「自由のための強さ Strength for Freedom」のメッセージ携え8ヵ国を訪れ世界巡航出航したオーストラリアディエゴガルシア島エジプトトルコイタリアスペインポルトガルおよびパナマ訪れ80年前にセオドア・ルーズベルト大統領グレート・ホワイト・フリート世界巡航を行わせて以来初めての世界巡航行った戦艦となった1987年には小口径砲増設が行われ、ペルシャ湾でのクウェート石油タンカー護衛作戦アーネスト・ウィル作戦参加した7月25日インド洋アラビア海での6ヶ月間の任務出港した熱く緊張した海上過ごした100日以上の期間は、世界巡航とは対照的なものであったエコー戦闘グループ中心としてタンカー船団をホルムズ海峡護衛し火器管制システムイランシルクワーム・ミサイルへの警戒継続した1988年前半ディエゴガルシア島オーストラリアハワイ経由帰国した数ヶ月後にリムパック参加のため再びハワイ水域に向かう。同演習にはオーストラリアカナダ日本およびアメリカから50,000名以上の兵員多数艦艇参加したミズーリ1988年訪問港には、バンクーバービクトリアサンディエゴシアトルおよびブレマートン含まれていた。 1989年艦歴において消耗の年であった。年の初め定期保守ロングビーチ海軍造船所行い独立記念日週末花火飾られた。数ヶ月後に太平洋演習(PacEx)'89向けて出港し姉妹艦ニュージャージーと共に空母エンタープライズUSS Enterprise, CVN-65)及びニミッツUSS Nimitz, CVN-68)のために砲撃デモンストレーション行った。PacExのハイライト釜山港訪問であった1990年には再びアメリカ軍加えてオーストラリアカナダ日本および韓国によるリムパック参加した1990年8月2日イラク軍クウェート侵攻行った同月中旬ジョージ・H・W・ブッシュ大統領サウジアラビアおよびペルシャ湾多国籍軍支援のため数十に及ぶアメリカ軍第一陣を派遣した本艦9月に始まる予定であった4ヶ月間の西太平洋巡航直前取り消され中東情勢に対して動員態勢置かれた。 出動11月中旬命じられロングビーチの6番桟橋から離れてハワイ向かい真珠湾感謝祭祝ったフィリピン向かったスービック海軍基地での停泊タイパタヤ向かいその間砲撃及び化学兵器防護訓練行った1991年1月初めにペルシャ湾到着し、ここで火災起こした船を救援したその後バーレーン向かったバーレーンでの短期間停泊後に北方向かい作戦活動従事した1月17日イラク領内向けてトマホーク・ミサイル発射し湾岸戦争開始された。本艦トマホーク全部28発をイラク領内対し発射している。 1月29日、フリゲートカーツ(USS Curts, FFG-38)に護衛されイラク軍交戦のため北へ移動した湾岸戦争における最初の戦闘活動は、カフジ北部イラク軍司令部および燃料に対して1,200kgの砲弾撃ち込むことであった。これは1953年3月以来主砲発射であった2月5日には2度目艦砲射撃行いイラク軍砲台沈黙させた。3日間にわたってイラク軍拠点砲撃行い112発の主砲弾を撃ち込んだ姉妹艦ウィスコンシンUSS Wisconsin, BB-64)と砲撃任務共同行い、2隻の戦艦16インチ主砲イラク軍目標破壊した2月23日の夜、地上軍支援のためファイラカ島主砲弾を発射クウェート海岸沿いのイラク軍上陸間近であると信じ込ませた。フリゲートマッキナニー(USS Mclnerney, FFG-8)に護衛されウィスコンシン上陸兆しさらなる信憑性加えるため砲撃加わった陽動攻撃成功しイラク軍海岸沿って防衛強化したので多国籍軍海岸防衛ライン迂回して進撃始めたファイラカ島砲撃後、ウィスコンシン着弾確認のためRQ-2 パイオニア無人偵察機発進させた。パイオニアファイラカ島上空達すると、パイオニア向けて白旗を振る数百名のイラク兵を確認したブッシュ大統領攻撃停止指令発するまで、ミズーリウィスコンシンイラク軍目標に対して450トンもの砲弾撃ち込んだ湾岸戦争中にイラク軍は2発のシルクワーム・ミサイル発射した一発は海に落下したが、もう一発イギリス海軍42型駆逐艦グロスターのシーダート・ミサイル2発によって迎撃された。これは、海上での戦闘において対空ミサイルによりミサイル撃墜成功した最初の例とされる。なお、この際シルクワーム・ミサイル対抗するため発射したチャフ誤認したアメリカ海軍のミサイルフリゲートジャレットのファランクスCIWS友軍ミズーリ誤射して水兵負傷する事故起きたイラク1991年2月28日ソ連提案停戦協定同意し湾岸戦争終結した3月中旬オーストラリアパースおよびタスマニアホバート経由して帰国した

※この「再就役と湾岸戦争」の解説は、「ミズーリ (戦艦)」の解説の一部です。
「再就役と湾岸戦争」を含む「ミズーリ (戦艦)」の記事については、「ミズーリ (戦艦)」の概要を参照ください。

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