ファイラカ島とは? わかりやすく解説

ファイラカ‐とう〔‐タウ〕【ファイラカ島】


ファイラカ島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/24 10:11 UTC 版)

ファイラカ島
جزيرة فيلكة

ファイラカ島市街
座標 北緯29度26分00秒 東経48度20分00秒 / 北緯29.43333度 東経48.33333度 / 29.43333; 48.33333
面積 43 km²
所在海域 インド洋ペルシャ湾
所属国・地域 クウェート
テンプレートを表示
ファイラカ島の位置

ファイラカ島(ファイラカとう、アラビア語: جزيرة فيلكة‎、jazīrät failakä)は、ペルシャ湾に位置するクウェート

概要

地方区分はアースィマ県ファイラカに属し、首都クウェート市から約20kmに位置する。クウェート有数の避暑地として国内外に人気がある。

1950年代の遺跡調査で古代ギリシャ文化が確認され、文化観光地としての開発も行われている。

湾岸戦争時、ファイラカ島全体はイラク軍の拠点であった。イラク軍撤退後はアメリカ合衆国海兵隊の演習基地として立ち入り禁止地域であったが、現在は制限が解除され住民は帰還している。しかし戦争時に破壊された社会基盤の復旧が完全に進んでおらず、島内各地で戦闘の跡を確認することができる。

ファイラカ(Failaka)は、古代ギリシャ語で「辺境地」を意味するファイラキオ("fylakio")に由来する。

歴史

紀元前3000年頃、独自のパンテオン太陽信仰(参照:シャマシュ)、人身御供を行っていた。

紀元前3世紀アレクサンドロス3世(大王)のインド遠征の際、古代ギリシャ人はエーゲ海イカリア島に形が似ていることに因み、イカリア(Icaria)と名付け植民

1990年イラクによるクウェート侵攻時、約2,000人いた住民はすべて追い出され、イラク軍の拠点となった。翌年の湾岸戦争でアメリカ軍率いる多国籍軍が奪還した。

2002年、ファイラカ島で実施されたクウェート軍と海兵隊の合同演習のときに、イスラム原理主義を信奉するクウェート人によるアメリカ兵殺害事件が発生したが、治安は安定している。

交通アクセス

  • フェリー「イカルス」がクウェートシティより運航している。

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ファイラカ島」の関連用語

ファイラカ島のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ファイラカ島のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのファイラカ島 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS