再就役、朝鮮戦争および近代化改装
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「エセックス (空母)」の記事における「再就役、朝鮮戦争および近代化改装」の解説
1950年に朝鮮戦争が勃発すると予備役に入っていたエセックス級空母各艦も再び実戦投入されることが決まった。 「エセックス」の近代化改装工事(SCB-27A改装)は、予備役艦隊在籍時の1949年2月から行われ、新しい操縦室や洗練された艦橋構造物が設置された他、ジェット機運用能力を持つことになった。1951年1月16日の工事終了後、「エセックス」はA・W・ウィーロック大佐が艦長に就任して再就役した。ハワイ近海での簡潔な訓練の後、エセックスは朝鮮戦争に第1空母戦隊と第77任務部隊(エセックス、ボクサー、ボノム・リシャール、以後順次追加及び交代)の旗艦を兼ねて極東水域に向かった。朝鮮戦争における「エセックス」の行動期間は、1951年8月から1952年3月までと同年7月から1953年1月までの2度にわたり、その間横須賀を拠点とした。「エセックス」は、F2H バンシーを実戦で初めて発艦させた空母となった。1951年9月16日、被弾し帰ってきた1機のF2H が爆発と炎で7名を戦死させた後、飛行甲板前部に待機中の他の航空機に衝突した。「エセックス」は朝鮮水域から引き揚げて横須賀で修理を行い、10月3日には前線に戻って鴨緑江近辺への中国志願軍攻撃の支援を行った。1952年3月に一旦サンフランシスコへ帰国した後7月に戦線復帰したが、その際に台湾海峡を通過し、国民党軍支援のための警備行動を行った。1952年8月29日に「エセックス」の艦載機は「ボクサー」の艦載機と陸上基地から発進した空軍機約1000機と協力して平壌を爆撃し壊滅させ、9月1日には「ボクサー」、「プリンストン」とともに慶興郡の石油基地を攻撃し、北朝鮮の保有していた燃料の三分の一を焼き払った。後年、アポロ11号の船長となるニール・アームストロングはこの頃、「エセックス」にパイロットとして配属されていた。また従軍作家のジェームズ・ミッチェナーは作戦中の「エセックス」に取材で乗船しており、その経験を元に『トコリの橋』を執筆し、後に映画化された。 朝鮮戦争にアメリカ海軍はエセックス級航空母艦8隻とコメンスメント・ベイ級航空母艦等の小型空母6隻を投入したが殆どが初実戦で、太平洋戦争からの空母は「エセックス」以外では「ボノム・リシャール」とインディペンデンス級航空母艦の「バターン」だけであった。エセックス級の後継の空母としてミッドウェイ級航空母艦があったが三隻しか建造されず、朝鮮戦争にも投入されなかった。 1953年12月1日からは、東シナ海において休戦監視哨戒を行った。フランス領インドシナにおける第一次インドシナ戦争が1954年3月から5月にかけてのディエンビエンフーの戦いで大詰めを迎えると、アイゼンハワー大統領は極東にいた「エセックス」と「ボクサー」にフランス軍救援の準備を行うように指示し(ヴァルチャー作戦(英語版))、トンキン湾に展開したが実行されることはなかった。1954年11月から1955年6月にかけては訓練に従事。その間の3ヵ月、「エセックス」は空母「キアサージ」や、「エセックス」に続いて再就役した「ヨークタウン」、「ワスプ」、ミッドウェイ級航空母艦一番艦の「ミッドウェイ」などの第7艦隊と行動をともにし、1955年2月の大陳島撤退作戦への支援および、沖縄沖での艦隊行動に従事した。。1955年7月、極東水域での行動を終えた「エセックス」は本国に帰投し、ピュージェット・サウンド海軍造船所に入渠して修理と大改修工事(SCB-125改修)が行われた。近代化計画として行われたこの大改修は、ジェット機運用のためのアングルド・デッキ設置と後部エレベーターの再配置を主として行われた。工事終了後の1956年3月に「エセックス」は太平洋艦隊に編入され、14ヵ月もの間を西海岸水域で行動した後、第7艦隊で行動した6ヵ月間を除いたほとんどの期間を大西洋艦隊で行動することとなった。「エセックス」は1957年8月21日にサンディエゴを出港し、ホーン岬を巡って8月1日にメイポート海軍補給基地に到着した。
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