世界巡航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 03:58 UTC 版)
「キアサージ (戦艦)」の記事における「世界巡航」の解説
キアサージはその後も旗艦任務を続け、1906年3月31日に戦艦メイン(USS Maine, BB-10)と旗艦を交代し、艦隊との作戦行動を継続した。1906年4月13日、キューバのクルーズ岬沖での射撃訓練中に13インチ主砲の装薬が爆発事故を起こし、士官2名と兵員8名が死亡、4名が重傷を負った。 その後キアサージは第2戦隊第4部隊に配属され、1907年12月16日に「グレート・ホワイト・フリート」の一艦として世界巡航に出航した。艦隊はハンプトンローズを出航し南アメリカの沖から西海岸へ抜け、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、そして日本を訪れた。続いてセイロンを訪れ、スエズ運河を通過後地中海の港を訪問し、その後アメリカ東海岸に帰還した。セオドア・ルーズベルト大統領は1909年2月22日にハンプトンローズで艦隊を観閲し、アメリカ合衆国の国威を世界に示した。
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