入門 - 入幕までとは? わかりやすく解説

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入門 - 入幕まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 13:22 UTC 版)

栃ノ心剛史」の記事における「入門 - 入幕まで」の解説

相撲始める前は柔道ヨーロッパ王者になったこともあるサンボ経験している。小学生に入るころに柔道チダオバ呼ばれるジョージア伝統格闘技始めた自身柔道相撲強豪選手であった弟のラシャ・ゴルガゼが「兄は真面目で、いつも練習ばかりしていた。私は真似できなかったなあ」と振り返るのを筆頭に、複数の証言者がレヴァニの練習熱心さを語っている。 2004年世界ジュニア相撲選手権大会に全く相撲稽古をしないまま出場したのが初めての相撲経験であり、この時に3位入賞果たした世界ジュニア大会ではほかにも重量級準優勝などの実績残している。柔道も好きであったために角界入りについては迷っていたが、同郷黒海家族相談した末に入門本人後年相撲入ってなかったら多分、柔道オリンピック出ていたでしょうね。ジョージア代表出ていた選手には一度負けたことがなかったからね」と話している。レスリング出身者が多い欧州勢の中で、相撲エリートとしての実績恵まれた体躯優れた身体能力から、入門時より将来角界を担う力士として期待された。木村山とは十両昇進後設備上の理由で同じ個室生活していた時期があり、木村山結婚して夫人とともにマンション暮らしをするようになるまで相部屋生活は続いた2006年3月場所に初土俵踏んで以降全ての場所で5勝以上を挙げるなどハイペース番付上げた2007年11月場所では東幕下筆頭勝ち越し決め初土俵から所要11場所で十両昇進ジョージア出身力士では黒海以来2人目の関取となった新十両迎えた2008年1月場所では、いきなり12勝3敗の成績収め新十両優勝。翌3月場所でも9勝6敗の成績残し十両を2場所で通過。翌5月場所初土俵から13場所と史上10タイスピード記録新入幕果たした新入幕となった5月場所は7勝8敗と自身初の負け越し喫したが、以降順調に出世し西前頭8目で迎えた2009年11月場所には12勝3敗の成績挙げ、初の三賞となる敢闘賞受賞した。この時は新小結可能性もあったが、翌場所は西前筆頭据え置かれた。入幕からしばらく勢い衰えたことに関して本人が後に「あのとき、もっと真面目にやっていれば、もうちょっと上に行けたかもしれない(笑い)分からないけどね。若かったから遊びたい気持ち大きかったんじゃないですか」と振り返っている。しかし幕内上位はいずれ10敗以上を喫するなど上位の壁は越えられないでいた。 4度目の上挑戦となった2010年5月場所では、初日こそ把瑠都敗れたものの翌日以降4大関(日馬富士琴欧洲琴光喜魁皇)を次々なぎ倒し順調な滑り出しをしたが、その後失速し千秋楽に8勝7敗とぎりぎり勝ち越した。それでも4大撃破の星が認められ2回目敢闘賞受賞した。この活躍受けて7月場所では新三役(西小結)に昇進したものの、琴欧洲を除く横綱・大関陣に全て敗れるなど上位の壁に阻まれ6勝9敗で負け越した西前頭6目で迎えた5月技量審査場所序盤から好調で、千秋楽まで優勝争いトップ白鵬追って白星重ねていった。千秋楽日馬富士破れて12勝3敗となり優勝逃したが、自身3度目敢闘賞受賞した7月場所3度目となる西小結に番付戻したが、6勝9敗と負け越した10月18日同月14日門限服装規定破った栃ノ心弟子3人が師匠である春日野親方に腹や背中素手ゴルフクラブアイアン殴られるなどした暴行容疑浮上し師匠栃ノ心らは警視庁本所警察署事情聴取受けた栃ノ心14日暴行受けてから部屋出て行き16日まで部屋に戻らなかったが、その後春日野親方土下座して謝罪し自分の非を認め被害届提出しない意向である。「自分悪いことをした。これからこういうとがないように頑張る」とコメントした関係者によると、栃ノ心門限破り服装違反常習犯であり、当面土俵内での申し合い外出禁止され事実上謹慎状態にあり、栃ノ心は「(申し合い稽古はしたいけど仕方ない」と反省している。ちなみに同月5日開かれた研修会集まった力士対し放駒理事長外出時の服装など日常行動について注意した直後出来事だった。師匠は「関取たる者、相撲だけじゃなく、態度言動伴っていないといけない。栃ノ心は、もうちょっと『心』をしっかりしてほしい」と語った27日師匠九州場所入りしても反省の色が見えない限り当面土俵内の稽古禁止する記者答えた。「反省か何かがないと。嫌なら辞めてもらうしかない」とも語っている。後年自身大関昇進して以降報道では「キレもおかしくない一件でしたが、栃ノ心は『親方自分のことを本気で考えてくれ、本気で怒ってくれた』 と感銘を受け、信頼するように。『稽古は嫌いじゃない』と語っているように、このときから稽古量もよりいっそう多くなっていった」とされている。その後謹慎解かれたが、土俵上で精彩を欠く相撲内容がしばらく続き、相変わらず上位の壁は打ち破れないでいた。2013年7月場所は5日目德勝龍戦(栃ノ心勝利)で右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂大怪我負い6日目から休場したその後回復遅れて9月場所初日前に『右膝前十字靱帯断裂及び右膝内側側副靱帯断裂で更に安静2ヶ月が必要』という診断書日本相撲協会提出して休場することになった11月場所は西十両14目の地位まで下がったが、10月10日付で日本相撲協会に「右膝前十字靱帯損傷、右膝内側側副靱帯損傷で、12月末までの安静加療要す見込み」との診断書提出した

※この「入門 - 入幕まで」の解説は、「栃ノ心剛史」の解説の一部です。
「入門 - 入幕まで」を含む「栃ノ心剛史」の記事については、「栃ノ心剛史」の概要を参照ください。

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