新入幕までとは? わかりやすく解説

新入幕まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:41 UTC 版)

水戸泉政人」の記事における「新入幕まで」の解説

幼少の頃に父を亡くし弟の昭二(元十両13梅の里とともに1人の手育てられた。茨城県水戸市飯富中時代には母の勧め柔道打ち込み初段になる腕前持ち主だった。1977年の暮に力士サイン会行った本人貴ノ花サイン会だと思っていたそうだったが実は高見山富士櫻サイン会だった。この時髙見山に「大きねーお相撲さんならないかい」と勧誘される。数日後には高砂親方からも勧誘され入手困難だった29cmの靴をもらって入門決めた水戸泉四股名出身地水戸本名小泉、そして「枯れことなき泉のごとく出世を」という願い込めて髙砂が命名した部屋同期生長岡(のち大関4代朝潮幕下付出)がおり、彼から手ごろ稽古相手と目をつけられていた。7歳年上で、尚且つ二度学生横綱獲得した朝潮との稽古中学卒業間もない少年には辛いものだったが、これが後々財産になった朝潮とのエピソード数多く残り洗濯して干していた朝潮パンツ神社置き忘れて叱られ逸話など伝わっている。1979年9月ごろ挫折に耐えかね相撲見切りつけようとした朝潮対し、「今日稽古どうしたんですか?」とさりげなく声を掛けて立ち直らせたとも伝わっている。 新十両の場所の8日目から付人奄美富士の「勝ち星恵まれないときはせめて塩だけでも景気よくまいたらどうですか」という進言により、大量の塩を撒くようになった初めの頃は1回目から大きく撒いていたが、後に制限時間いっぱい時にのみ大きく撒くようになった1回にとる塩の量は何と600gにもなったという。ロンドン公演で「ソルトシェイカー」 と紹介され日本でも水戸泉といえば豪快な塩まき」として定着した同時代同様に大量の塩を撒く力士には朝乃若がおり、対戦した際には豪快に撒き上げ水戸泉叩きつける朝乃若両者の塩撒き観客沸いた。 塩を撒いた後に顔、まわしを強く叩いて気合を入れる仕草特徴である。これはいつごろからか無意識に始めていたもので、ある時飲み屋居合わせたファンから指摘され自分でも初めて気づいたという。イベントなどでやってみせてくれと頼まれることも多かったが、意識してやろうとするとうまくいかず苦労した語っている。 一方で制限時間まで立つ気がない仕切り繰り返していたため一部好角家批判されることも多かった貴闘力浪ノ花時間前でも度々立つ力士との対戦興をそぐことも多かった

※この「新入幕まで」の解説は、「水戸泉政人」の解説の一部です。
「新入幕まで」を含む「水戸泉政人」の記事については、「水戸泉政人」の概要を参照ください。

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