新入幕・三役への出世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:26 UTC 版)
1990年(平成2年)9月場所で新入幕を果たし、11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞する活躍を見せた。1991年(平成3年)5月場所では小結に昇進すると、それ以降は三役から幕内上位に定着、この場所では3日目に前々場所で敗れた横綱の千代の富士と再度対戦すると、貴闘力も千代の富士の腕を掴んで土俵外へ放り投げる「とったり」で快勝した。勝利直後のインタビューで貴闘力は、「憧れの大横綱に勝てて嬉しいです。」と語った。なお、同日夜に千代の富士が現役引退を表明した。千代の富士はこの場所初日、貴闘力の藤島部屋の後輩でもある新鋭・貴花田と対戦して敗れており、貴花田と共に引導を渡す格好となった。千代の富士の引退報道を知った貴闘力は、「本当ですか!信じられません。」と驚き、「まだ、自分は大先輩に対して偉そうなことを言える立場では無いので……。」と語り、その表情は寂しげだったという。それでも千代の富士からは「オレのことは気にせず頑張れ!」と直接励まされたことで調子を上げ、9勝6敗で二度目の敢闘賞を受賞した。この年は7月場所から11月場所まで関脇を維持し、大勝ちこそは無いものの8勝7敗と勝ち越しを続けた。 1993年(平成5年)2月、停年を迎える10代二子山と師匠12代藤島の間で名跡交換が行われ、両部屋は合併した。12代藤島が11代二子山となったため、二子山部屋所属となる。同年5月場所、初日から8連勝し11勝して唯一の技能賞獲得。同年9月場所後に大鵬部屋師匠(第48代横綱・大鵬、引退後は一代年寄)の三女と結婚、娘婿となった。 1994年(平成6年)3月場所は前場所まで3場所連続で負け越し、前頭12枚目まで番付を落としたものの、12勝3敗と好成績を挙げ、横綱・曙と同部屋で新大関・貴ノ浪との優勝決定戦に出場した。貴闘力は初戦でいきなり貴ノ浪との同部屋対決となるが敗れ、2戦目は貴ノ浪が曙に敗れた。貴闘力も3戦目で曙と対決し、土俵際を回り込むなど必死に善戦したが敗れ、幕内最高優勝は曙にさらわれた。 以後も、5月場所は曙に勝ち5回目の敢闘賞。7月場所は4日目から8連勝し3場所連続6回目の敢闘賞8回目の三賞。1996年1月場所は曙に勝ち12勝し7回目の敢闘賞。7月場所は1勝5敗から9連勝し8回目の敢闘賞。9月場所は4勝4敗から7連勝し、11勝で9回目の敢闘賞。1997年7月場所は曙に勝ち11勝し殊勲賞12回目の三賞。1998年5月場所は2度目の初日から8連勝したが、それ以降は1勝6敗と失速し9勝にとどまる。7月場所は曙に勝ち9個目の金星を獲得するなど活躍した。 しかし1994年3月場所以降、貴闘力は勝ち越しても優勝争いには加われず、前頭2枚目として臨んだ1999年(平成11年)11月場所で2勝13敗と大敗、2000年(平成12年)1月場所でも前頭10枚目で6勝9敗と負け越し、同年3月場所にはついに幕尻となる前頭14枚目まで陥落。既に32歳となり、衰えの見えてきた貴闘力に対して周囲は十両陥落も十分有り得ると予想していた。
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