停止されたサービス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 18:56 UTC 版)
「日本の公衆電話」の記事における「停止されたサービス」の解説
日本テレコム(現:ソフトバンクテレコム)の公衆電話 愛称「駅でんくん」。青色の電話機で、1990年(平成2年)頃から主要なJR鉄道駅、JR病院などのJR関連施設に設置された。NCC系は当初、発信側の市内通話とNCCが提供する中継区間、それと着信側の市内通話料の合計額という料金体系であったが、この公衆電話は日本テレコムに直収(直結)されていたため、発信側の市内通話料が不要であった。加えてNCC系の市外通話ではNTT公衆電話より料金が安く、日本の国内通話用公衆電話としては唯一クレジットカードが使えたため、そこそこの利用はあったものの、逆に市内通話は割高(45秒10円。当時のNTT公衆電話の市内通話料金は3分10円)であった。ピーク時には1200台余りが設置されていたが、採算性や携帯電話の普及などからか1999年(平成11年)サービス停止。 日本高速通信(→KDD→現:KDDI)の公衆電話 1990年(平成2年)頃から、高速道路の一部のサービスエリアに設置されたが、旧:KDDへの吸収後の1999年(平成11年)頃サービス停止。唯一、筐体がNTTと同じ故(筐体色は緑ではなく日本高速通信の青)、NTT以外の事業者が提供しながら、NTTのテレカも使うことができた。ただ、設置された台数は最大でも57台と、日本テレコムに比べても少なかった。サービス停止後はNTT機に置き換えられた。 船舶公衆電話 旧方式船舶電話を利用した硬貨のみ使用可能なものが1981年(昭和56年)9月29日サービス開始、1993年(平成5年)9月30日サービス停止。陸上基地局の新方式船舶電話利用のテレホンカードのみ使用可能なものは、1988年(昭和63年)11月16日サービス開始、1999年(平成11年)3月31日サービス停止。衛星電話を利用したテレホンカードのみ使用可能なものは、1996年(平成8年)3月29日サービス開始、2004年(平成16年)3月31日サービス停止。一部船舶には前述のNTTドコモ・ワイドスターII衛星簡易公衆電話の設置により代替されている。 航空機公衆電話 テレホンカードのみ使用可能な発信専用のもの。地上基地局を利用したアナログものが1986年(昭和61年)5月6日・静止衛星を利用した衛星電話タイプが2001年(平成13年)7月31日、NTTドコモ(代理店はドコモ・センツウ)によりサービス開始。料金が1分500円と非常に高く利用が少なかったため、2004年(平成16年)3月31日ともにサービス停止。 ICカード公衆電話 NTTの新型のICカードタイプのテレホンカードに対応した公衆電話機。日比野克彦のデザインによる“アースカラー”を用いたコンパクトな外観が特徴。いわゆる偽造テレホンカード対策の決定版として登場。国際電話対応。従来の磁気式テレホンカードは使用不可能。PC・PDAなどの接続用にRJ-11コネクタとIrDA赤外線ポートを有する。また、Lモード契約者は、Lモードカードを挿入することによってLモードの利用が可能であった。この機種が公衆電話の最終モデルになっている。しかし、従来の磁気テレホンカードが使用できず、ICテレホンカードの普及が進まず利用も低調だった。この背景には、この公衆電話が設置された頃には携帯電話やPHSがかなり普及していたため、この公衆電話の新機能を使いこなせるくらい電話をよく利用する人は携帯電話などを利用してしまい、(この当時の)公衆電話の利用者でそれらの機能を使いたいと思う人は少数であり、むしろ磁気テレホンカードとの互換性がないことやICテレホンカードに有効期限があることを不便だと思ったことがあると考えられる。さらに、偽造テレホンカードに対抗する技術が確立されたため、2006年(平成18年)3月末までに廃止され磁気テレホンカードの公衆電話へ再び置き換えられた。 McBBフォン 一部マクドナルド店に設置された、Yahoo! BB基盤上のIP電話を使った公衆電話サービス。日本国内(固定電話)とアメリカ本土、アラスカ州、ハワイ州への通話が3分間無料で利用できた。2002年(平成14年)5月31日から開始されたが、「Yahoo! BB」のプロモーションを兼ねた試験的な意味合いが強く、2005年(平成17年)頃までに撤去。 カードC オートダイヤルカード機能を用いたクレジット公衆電話通話サービス。2009年新規申し込み終了、2011年サービス終了。 Mosivo(モシーボ) 松下電器子会社のピンチェンジが2002年から設置した広告付き無料公衆電話。電話番号入力後にCMを見ることで一定時間無料で通話が可能となり、通話中も画面に広告が流れ、広告料で設置費用や通話料などを賄った。回線は通話料金の安い平成電電を用いた。通話先や連続通話に制限がある。2005年のピンチェンジ社清算後順次サービス終了。京都の清水寺などに設置されていたものは、修学旅行の学生などの使用も多かった。 梅田の地下街のように、利用者が多すぎて通話料が広告料を上回ったため採算が取れなくなり、早々に撤去されたケースもある。
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