作品とその影響力とは? わかりやすく解説

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作品とその影響力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/17 22:22 UTC 版)

ルカ・マレンツィオ」の記事における「作品とその影響力」の解説

マレンツィオはモテットなどの宗教曲や、マドリガーレ・スピリトゥアーレ(聖句にもとづく世俗歌曲)などもいくつか作曲しているが、作品中圧倒的多数占め今なお死後の名声守っているのは、厖大な数に登るマドリガーレである。20年間のマレンツィオの創作活動の中で、マドリガーレ作曲様式技法、それに響きの上で、変化をみせている。 マレンツィオは少なくとも15点の曲集を出版したが、その大半マドリガーレとどまらずカンツォネッタやヴィッラネッロも含まれている(どちらのジャンルアカペラ世俗歌曲という点では非常にマドリガーレ似ているが、普通は性格においてやや軽い)。個別数えるとほぼ500曲が遺されている。様式的に見るとおおむねマレンツィオの作品は、生涯通じて徐々に深刻な響き帯びるようになってゆくが、しかしながらあらゆる年代においてマレンツィオは、個々作品の中で、また時には個々フレーズの中で、最も衝撃的な気分変化をとらえることができた。歌われる詩の文言忠実に追っていくので、音楽混乱して聞こえることは滅多にない最後10年間は、より深刻な厳粛ですらあるよう楽曲創作しただけでなく、ジェズアルド以外に太刀打ちできる者がいないよう大胆さで、半音階技法実験をも試みている。マドリガーレ《おお、ため息をつくあなたよ O voi che sospirate 》においてマレンツィオは、たった一つフレーズの中で、エンハーモニック読み替え用いて例えば、嬰ハ長調主和音変ニ長調主和音異名同音みなして五度圏転調を完全に一巡し、そのため平均律近似値のような感覚なければ歌うのが困難になっている。 マレンツィオの様式でより特徴的な点で、なおかつジャンルとしてのマドリガーレ洗練されている点は、音画技法用法である。すなわち、特定の語句音楽反映させ、歌われている内容について譜面の上で音型や和声用いて暗示するという手法である。明快な例を挙げると、「海に沈む」という語句には一連の下行する音符あてたり、「不安」という言葉を、解決伴わない不協和音伴奏したりすることをいう。 マレンツィオはイタリア作曲界だけでなく、その他のヨーロッパ諸国にも甚大な影響力残した一例挙げると、1588年にはイングランドニコラス・ヤングNicholas Yonge)がイギリス初のイタリア・マドリガーレのアンソロジーアルプス向こう側音楽』(Musica transalpina)を出版しているが、この中でマレンツィオは、アルフォンソ・フェッラボスコ1世次いで収録曲数が多い。2冊目のイタリア・マドリガーレ集がイングランド出された時は、収録曲数でマレンツィオにかなうものは誰一人いなかった。 典拠管理WorldCat VIAF: 2656905 LCCN: n80138261 ISNI: 0000 0001 0863 4444 GND: 118781847 SELIBR: 268412 SUDOC: 069743800 BnF: cb138970773 (data) MusicBrainz: b9827d50-4ba5-45e5-872b-bef97e5d6d56

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作品とその影響力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 00:53 UTC 版)

チプリアーノ・デ・ローレ」の記事における「作品とその影響力」の解説

ローレは、120曲以上のイタリア語マドリガーレによってとりわけ名高いが、宗教曲多作家でもあり、いくつかのミサ曲モテットを遺した。原点においてジョスカン手本であり、この老大家作曲様式から自分自身作曲様式引き出している。ローレ最初3つのミサ曲は、先輩であるジョスカンその遺産対す挑戦結果であった5つミサ曲のほかに、幾つかのモテット多数詩篇唱ヨハネ受難曲世俗モテットが遺された.。 しかしながらローレ不朽の名声を遺したのは、マドリガーレ作曲家としてであり、事実ローレは、16世紀半ばにおける最も影響力のあるマドリガーレ作曲家一人であったローレマドリガーレは、もっぱら1542年から1565年にかけて出版された。初期マドリガーレは、ヴィラールト作曲様式負っており、明晰な発音重厚絶え間ない対位法徹底した模倣カデンツ強調特色とする。マドリガーレの殆どは4声か5声のために作曲され、ときに6声や8声の作例見られる楽曲調子厳粛さ帯びがちであり、とりわけ初期マドリガーレ軽快さとは好対照生している。ローレは、ペトラルカ詩歌フェラーラ上演され悲劇台詞専念するために、軽佻浮薄性格詩句曲付けしようとしなかった。またテクスト気分変化描出することに全力注いだ。しかもローレは、詩の構成詩節、詩のリズムをしばしば無視しており、詩の構成楽曲構成一致必要不可欠なものと看做していなかったことを窺わせている。その上ローレは、ありとあらゆる特徴的な作曲様式使いこなして、詩の意味を、延いては統一としての詩を表出しようとした。 さらにローレは、興味深いことに、半音階技法試みている。ニコラ・ヴィチェンティーノ同世代であったので、その半音階理論実践したであった。しかもローレは、ヴィチェンティーノの洗練された対位法の手技を称賛してもいる。またマドリガーレにおいてローレは、カノン技法通模倣駆使した。しかも、16世紀初頭聖句曲付け活用され発展したポリフォニー蓄積活かしている。ローレ多種多様な作曲技法用いており、厳格な模倣から単純な対位法まで、穏当な全音階から遠隔転調まで、シラブルどおりの朗唱からメリスマ的な節回しまでと変化に富むローレは、16世紀後半偉大なマドリガーレ作曲家多く模範となり、クラウディオ・モンテヴェルディからも一目おかれた。アルフレート・アインシュタイン著『イタリアマドリガーレ』(1949年)によると、「ローレ真の精神上の後継者は、モンテヴェルディであった。」「ローレは、1550年以降イタリアマドリガーレすべての発展の鍵を握っている。」教師としてローレは、直接ジャケス・デ・ヴェルトやルッツァスキ・ルッツァスコを指導した伝えられる両者はいずれ後期イタリア・ルネサンス音楽において、最も急進的な音楽家指導的存在となったモンテヴェルディヴェルトからも影響受けている)。 ローレ16世紀半ばに、当時比較的まれであったラテン語による世俗モテット作曲した。これらの世俗モテットは、「マドリガーレ・スピリテュアーレ」(宗教的マドリガーレ)と鏡像関係にあり、様式的に見てマドリガーレ類似する

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