作品とその受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 08:53 UTC 版)
「ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク」の記事における「作品とその受容」の解説
ドゥシークは、メンデルスゾーンやシューマン、ショパンなど、ロマン派のピアノ曲の作曲家の重要な先駆者である。同世代のその他の後期古典派の作曲家に比べると、ドゥシークはいちじるしく「モダン」に響く曲が多い。それでも、その作品は作曲された時点で流行してはおらず、後代の作曲家たちがドゥシークに影響されたかどうかは、今なお疑問が少なくない。ドゥシークは、独自の線を進んで模倣者を呼ばず、その意味ではどことなくジェズアルドに似ている。様式的に、古典派よりもロマン派と多くの共通点を持ち、ほとんどの作品は作曲年代から20年ほど後のロマン派音楽の始まりになって、ようやく受容された。 ドゥシーク作品の中でも有名になったいくつかはピアノ独奏用の小品で、その多くが標題的な副題を持っている。たとえば「フランス女王の嘆き」(1793年)は、さまざまな長さの一連のエピソードからなり、子供たちとの別れも含めて、女王の不運に関するテクストが挿入されている。 34曲のピアノ・ソナタもあり、その中に、(1806年に戦死したプロイセン王子ルイ・フェルディナントを悼んで作曲された)美しく比類のない《悲歌の調べElégie harmonique》作品61も含まれている。加えて数多くのピアノ協奏曲やヴァイオリン・ソナタ、劇音楽、数々の室内楽曲がある。中でも、《ホルン三重奏曲》は後にブラームスが作曲するのと同じ楽器編成をとっており、類無双の《ピアノとヴァイオリン、チェロ、打楽器のためのソナタ》(1797年)は、〈ダンカン提督による海戦とオランダ軍の完敗〉と題されている。打楽器も含んだ室内楽という発想は、20世紀初頭になるまで稀であった。
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