主な電探とは? わかりやすく解説

主な電探

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 13:53 UTC 版)

電波探信儀」の記事における「主な電探」の解説

三号電波探信儀 このレーダー発信機受信機離れた場所に設置する対空レーダー通常のレーダーのようなパルス波ではなく連続波送信し送信アンテナ受信アンテナの間を航空機通過すると、受信される電波変調するので探知ができる。波長7.5 m、警戒線長さ100 km、幅10 km数十台が試作されたが次に記述する一号一型実用に近づいたため開発中止された。 命名は三号となっているが 艦載水上射撃用レーダーではない。 一号一型 陸上設置対空監視メートル波レーダー。この型からは現在の通常のレーダーと同じ反射した電波返ってくる時間測定するいわゆる山びこ方式となった波長3 m尖頭出力10 kW測定最大感度法。捕捉性能単機艦上攻撃機70 kmであった1941年昭和16年10月横須賀市野比海岸実験が行われ、11月から12月1号機千葉県勝浦設置された。また2号機横須賀市衣笠設置された。年末までに50基を製作するように要求され翌年2月までに30基を生産、主に南方占領地各地設置された。当初故障頻発し部品交換などをして安定して動作したのは同年9月ころのことであった同年末ころに尖頭出力40 kWにまで増大した改良型登場し単機130 kmから捕捉できるようになった。このレーダー一号一型改一と命名され既存のものはこの型に改修された。 一号一型欠点容積大きく重量が8.7トンもあったことである。そのため設置多大な資材労力がかかり、1944年昭和19年)末に設置中止された。それまでに百数十台が製造されたという。 一号二型 一号一型重量過大容積大きかったため、波長短縮して重量軽減トレーラー上に設置して移動可能としたタイプ波長1.5 m、尖頭出力5 kW測定最大感度法、重量6トン性能単機50 km編隊100 kmだった。大戦初期前線進出したがまだ重量重く容易に移動できないため、多少性能落ちて良いのでより軽いレーダー要望された。そのため生産台数は約100台に留まった。 一号三型 詳細三式一号電波探信儀三型参照のこと。生産台数2000台。 一号四型 B-29編隊を距離500 km探知すること目標にし、波長6 m、尖頭出力100 kWとする。測定従来と同じ最大感度法。1945年昭和20年以降、5台が試作され、うち3台が配備された。六号一型、六号二型の項も参照のこと。 二号一型 詳細二式二号電波探信儀一型参照のこと。 二号二型 詳細仮称二号電波探信儀二型参照のこと。改良進められ最終的に射撃用としても使用された。1000台以上量産され、ほとんどの艦艇装備された。 二号三型 1944年昭和19年3月会議に於いて多少精度悪くて6月までに射撃用レーダー開発整備すべき、と決議され開発集中し完成させた。波長0.6 m、尖頭出力5 kW測定は等感度法、重量1トンアンテナ直径1.7 mのパラボラアンテナ採用した同年7月に一応の完成見たが、探知距離に不満が残り、また水上艦艇多くは既にリンガ泊地進出済みで、その後レイテ沖海戦多く艦艇喪失したため、艦艇装備機会失った三号一型 次に述べ三号二型小型軽量化した改良型波長0.1 m、尖頭出力2 kW測定最大感度法、重量1トンアンテナパラボラアンテナ採用し同軸ケーブル機器接続アンテナのみ回転する方式変更された。完成遅かったため艦艇には搭載されなかった。 三号二型 二号三型と同じ経緯1944年昭和19年7月に一応の完成見た波長0.1 m、尖頭出力2 kW測定は等感度法、重量5トン感度を増すためにアンテナ大型角形電磁ラッパ採用送受信機も一体となって回転する方式とした。しかし重量容積共に大きすぎ、艦艇への装備見送られた。生産台数60台。 三号三型 既存二号二型に小改造施して射撃用レーダーしたもの波長0.1 m、尖頭出力2 kW測定は等感度法、重量800 kgアンテナ送信用1個、受信用2個の角形ラッパ既存架台装備した三号一型同様、完成遅かったため艦艇には搭載されなかった。 四号一型 フィリピン捕獲したアメリカ陸軍CR-268を原型とする陸上設置対空射撃レーダー波長1.5 m、尖頭出力13 kW測定は等感度法、重量5トン送信方位測定受信角度測定受信アンテナそれぞれ4✕4、4✕4、2✕6の八木・宇田アンテナ使用し測距精度100 m、測角精度1.5度を実現したもの。1943年昭和18年)夏に第1号機が完成し東京都月島設置実用実験が行われた後にラボール中央高台砲台送られ相当戦果をあげた。その後海上輸送が困難となり台湾本土設置された。生産台数50台。 四号二型 シンガポール捕獲したイギリス陸軍SLC装置資料元に製作され対空射撃レーダー四号一型より軽量のため艦載用とされたが能力不足のため後に陸上用とする。波長1.5 m、尖頭出力13 kW測定は等感度法、重量5トンアンテナ八木・宇田アンテナ送信用1、受信用4基を装備測距精度50 m、測角精度1度だった。第1号機は1942年昭和17年12月完成し館山砲術学校設置試験された。その後出力倍加するなどの改良加えた改二が製造された。生産台数四号二型30台、改一が20台、改二が70製造されたが、実際に設置されたのは十数台に留まった 四号三型 四号二型と同じSLC装置資料元に製作され探照燈レーダー要目四号二型とほぼ同一1943年昭和18年8月戦艦山城」に搭載され実験が行われたが当時レーダー開発状況では夜戦回避すべきとされ艦載断念された。陸上用には更に大型化した改一、出力倍加させた改二が開発され探照燈レーダーとしては満足する性能得たが、終戦間際になってアメリカ軍妨害電波のために無力化された。 六号一型、六号二型 六号一型二号三型出力10 kW倍増しアンテナ直径を7 mに改造したもので略称SB六号二型一号三型を等感度方式改めたもので通称浜六二、B-29迎撃システム一環として開発された。つまり、一号四型B-29500 km遠方探知し六号一型で距離と高度を測定し進路決定六号二型敵味方装置合わせて味方位置確認しそれにより味方戦闘機B-29まで誘導する、というシステムだった。1945年昭和20年3月1号機完成訓練開始されたが終戦間際だったためそれぞれ1台のみの製造終わった

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