主な電車焼き討ち事件とは? わかりやすく解説

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主な電車焼き討ち事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 14:35 UTC 版)

電車焼き討ち事件」の記事における「主な電車焼き討ち事件」の解説

東京市内電車(後の東京都電)における焼き討ち東京市内電車値上げ反対運動1906年明治39年3月1日当時東京市内に路面電車運行していた東京電車鉄道東京市街鉄道東京電気鉄道三社は、運賃を3銭から一斉に5銭に値上げすることを申請、これに対して3月15日反対集会後に参加者暴徒化して電車焼き討ち発展した各社申請取り下げためいった反対運動沈静化した。 6月になって三社合併して東京鉄道とすることとした。当時各社3銭、他社線乗り換えるとさらに3銭の運賃体系となっていた。当時利用客からは全社共通運賃を望む声が多く、また全社日露戦争によって課せられた通行税によって経営圧迫していたため、三社合併同時に運賃を4銭均一制とすることにした。 しかし、市民による値上げ反対運動再発し9月5日の「電車運賃値上げ反対市民大会」後に暴徒化した市民らは電車投石放火等の破壊行為繰り返した。このときに破壊され電車54両に上り100名以上の検挙者を出す事件発展した。またこの事件きっかけ電車公営化を望む声が強まり1911年明治44年)の東京市による買収へとつながっていくのである名古屋電気鉄道名古屋市電前身)における焼き討ち 1914年大正3年)、名古屋市において路面電車運営していた名古屋電気鉄道名電)に対し不況下(当時はまだ、第一次世界大戦勃発した直後)のもと市民運賃の高さに不満を持っていた。名電運賃値上げ機にその不満が噴出し市内路線事業独占糾弾すべくデモクラシー運動展開する団体鶴舞公園主催した電車賃値下問市民大会」に多数集まり、会終了後高揚した一部参加者暴徒化し偶々近く走行していた市内電車や、郡部線郊外路線)のターミナル駅であった柳橋駅隣接名電本社破壊放火するなどの事態発展し本社建屋柳橋駅舎と電車23両などが被災焼失破壊)した。これによって、名古屋市当局市内路線市有化を強力に求めるべきとの考え強め1922年大正11年)に名古屋電気鉄道名古屋鉄道名古屋市電への分割事業譲渡として結実した

※この「主な電車焼き討ち事件」の解説は、「電車焼き討ち事件」の解説の一部です。
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