中世アラビア語圏における錬金術とは? わかりやすく解説

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中世アラビア語圏における錬金術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:26 UTC 版)

錬金術」の記事における「中世アラビア語圏における錬金術」の解説

詳細は「中世アラビア語圏における錬金術と化学英語版)」を参照 7世紀アラビア半島一角誕生したイスラームは、その信徒共同体支配する地域短期間拡大した支配地域行政には聖典言語であるアラビア語用いられ、のちには支配地域内に豊富に存在した学術書アラビア語翻訳されるようになった2-3世紀書かれヘルメス文書や、4世紀のゾシモスの著作5-6世紀新プラトン主義文献といった、錬金術にかかわるエジプトギリシア語文献も、8-9世紀のおよそ200年ほどの短期間集中的にアラビア語翻訳された:17-26。 翻訳時代終わり9世紀終わりごろから10世紀初め頃になると、ジャービル文献呼ばれる著者ジャービル・ブン・ハイヤーンという人物擬した文書群や、ムハンマド・ブン・ザカリーヤー・ラーズィーというペルシア人著作群が編纂された。ジャービル文書実際著者らはイスマーイール派というシーア派秘教分派信奉者のようであり、文書中にはイスマーイール派特異な魔術的数秘術的・占星術的・生物学的考察垣間見えるジャービルラーズィー以後も、イブン・ウマイル(10世紀)、カーシー11世紀)、トゥグラーイー(12世紀)といった錬金術師著作書きエジプトのジルダキー(14世紀)は先人たちの研究成果総括する著作書いた17世紀後半オスマン朝宮廷医師サーリフ・ブン・ナスルッラー・サッルームはパラケルスス思想伝統医術導入しようとした。これは錬金術近代的な化学」に変容しうる機会であったが、そうはならず錬金術師たちは「賢者の石探し終始した中世アラビア語圏における「錬金術」の定義はさまざまであるが、劣位金属変成(transmutation)させて高位金属を得ることがテーマ技術であり、岩石学鉱物学に近いが厳密に異なった鉄鉱石金鉱石から・金を精錬する冶金術とも異なりガラス金・銀まがい物製造する技術でもなかった。染色香料製造錬金術ではなく薬化学はこの時代にはまだ存在していない。冶金染色香料製造といった工芸技術錬金術根本的に異なっていた点は、錬金術理論的基礎持っていた点である。 錬金術師たちは、多様な鉱物は本来、一性(djins)であり、複数の要因によって本質的なdhātiyya)鉱物なり非本質的な鉱物なりになっているに過ぎない考え要因定常的ではなく変更可能であるから変成は可能であると考えたこのような理論的基礎の上錬金術師たちは、大地奥底数千かかって劣位金属高位金属変成するプロセスを、加速させる技術研究した人為的な変成が可能か否かについて、錬金術師ではない学者意見多様であったジャーヒズ懐疑主義的に、砂がガラスになるのに、真鍮が金に、水銀が銀にならないのは矛盾していると書いた。キンディーは、自然にこそ留保された業を人類為すことはできない述べたが、のちにラーズィーがこれに激しく反論したファーラービーは、変成は可能であるが簡単にできるようであれば通貨価値暴落するため、錬金術書はわざとわかりにくく書かれている、そのため不可能になっていると、錬金術擁護した。アブー・ハイヤーン・タウヒーディーは人間に自然を模倣する能力がないと考えイブン・スィーナー認識論観点から人為的な変成不可能性を論じた後者によると、鉱物他の鉱物から分け特徴的な差異faṣūl, differentia specifia)を認識する能力人間には備わっておらず、人間当該特徴的な差異付加され属性や一過性の因子認識できるにすぎないイブン・スィーナーの論はトゥグラーイーやジルダキーにより反論受けた。 イブン・ハズム・アンダルスィーやイブン・タイミーヤはじめとして護教的・社会防衛的立場から、錬金術という業そのもの非難した学者も多い。後者弟子イブン・カイイム・ジャウズィーヤはイブン・スィーナー同様に錬金術鉱物見かけだけを取り繕うのである考え、さらに、錬金術通貨価値暴落もたらすことによって、神により創造され世界の秩序壊しかねないとして錬金術非難した8-9世紀ごろを中心にアラビア語翻訳され文献、又は、翻訳という体裁をとって新たに著述され文献は、ヘルメス・トリスメギストス教えについて語るものが多い。錬金術師たちはヘルメス信奉者であったヘルメスハッラーンサービア教徒精神的父祖と仰ぐ預言者であり、マニ教においてもマーニー先行する五大預言者のひとりとされる預言者である:149-150。マニ教預言者論はイスラームグノーシス主義シーア派預言者論の中にも姿を現しヘルメスは、最初に定住民の生活組織しひとびと様々な技術教えるために遣わされ預言者として、預言者イドリースあるいは預言者エノク同一視される:149-150。 サービア教徒マニ教徒のヘルメス主義は、9世紀エジプト錬金術師ズンヌーン・ミスリー(英語版を介してハッラージュ初期スーフィーへ、さらにのちには12世紀スフラワルディーへと流れ込んでいった:150-151。マスィニョン(フランス語版によれば一に礼拝禁欲祈願により神に近づきうるという信仰、二に占星術と結びついた円環時間観、三に月下界と最高天四元素第五元素対立させない宇宙統一性強調する世界観といった特徴があるという:150-151

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