中世アニでの独立とは? わかりやすく解説

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中世アニでの独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:51 UTC 版)

アルメニアの歴史」の記事における「中世アニでの独立」の解説

詳細は「バグラトゥニ朝アルメニア」を参照 こうして中世アルメニア地方君主となったバグラトゥニ家であったが、その支配はやがてアッバース朝の手離れ始めた852年にはアッバース朝相手3年にわたる戦争開始され、アショト4世の孫は885年に、アルメニア王アショト1世英語版)として東ローマアラブ両国国家の独立承認させた。 しかしながら、バグラトゥニ朝の権威アルメニア全域において盤石であったわけではなく、たとえばアルツルニ家による「ヴァスプラカン王国英語版)」や王族のムシェーグ(ロシア語版)による「カルス王国アルメニア語版)」、シュニ家(ロシア語版)の「シュニク王国」など、国内には多数諸侯による自称政権林立する状況でもあった。そして、それら分王国群の中心位置するドヴィン(英語版)やナヒチェヴァンといった要衝支配していたのは、アラブ人による首長国であったこの分状態は、アショトの死後間もなくバグラトゥニ朝の分裂招いた次代のスムバト1世英語版)は909年、東から侵入したサージュ朝(ロシア語版テュルクとそれに連合したアルツルニ家に攻撃を受け、敗北した末に処刑された。 しかし、スムバトの陰惨な死はサージュ朝とアルツルニ家への反感、そしてスムバトの子アショト2世ロシア語版)へのアルメニア諸侯結集もたらした。アショトは915年東ローマ軍協力得てサージュ朝を退けたが、その後も弟である次代アバス1世英語版とともに服属要求する東ローマや、侵入するアラブ人、ラワード朝(アルメニア語版)クルドなど外敵への対処忙殺された。 バグラトゥニ朝が軍備勤しむ傍らアルメニア政治的経済的地位をかつての勢いまで盛り立てたのは、ヴァスプラカン王国のガギク1世フランス語版であった。その働きによってアルメニアは、以降10世紀通じて繁栄芸術黄金期迎えた鉱物資源開発により産業発展し生産され陶磁器織物宝飾品アジア各地輸出された。アッバース朝異教教会新設認めていなかったにかかわらず多数アルメニア教会新たに建てられた。アバスの子アショト3世英語版)の時代には首都アニ移され、のちにはカトリコスアルメニア語版)も座する一大宗教都市となった末期にはその商活動最盛期達しカルスやアルチェシュ(トルコ語版)などの都市は、小アジア地中海インドギリシアからもたらされ交易品埋め尽くされていたという。 また、バグラトゥニ朝期は教会建築がもっとさかんに行われた時代でもあり、今日現存する遺跡大半はこの時代造られたものである同時代代表的な建築にはカルス英語版)、アニ英語版)、アグタマル聖十字ロシア語版)などの諸聖堂、そしてマルマシェン(ドイツ語版)、フツコンク(英語版)、タテヴ(英語版)、サナヒン、ハグパット、ゲガルド、セヴァナヴァンク(フランス語版)、マカラヴァンク(フランス語版)などの修道院群がある。 しかし、アショトの子であるバグラトゥニ朝のガギク1世英語版)が1020年死去すると、再び王家分裂したバシレイオス2世時代勢力拡大していた東ローマは、アルメニア内紛尻目にガギク2世英語版)を退位させ、1045年アルメニア王国滅びた1064年にはカルス王国東ローマ併合されたが、シュニク王国、タシル=ジョラゲト王国ロシア語版)、ハチェン公国ロシア語版)の3国は、その後自治状態に留め置かれた。

※この「中世アニでの独立」の解説は、「アルメニアの歴史」の解説の一部です。
「中世アニでの独立」を含む「アルメニアの歴史」の記事については、「アルメニアの歴史」の概要を参照ください。

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