中世イスラム世界の地動説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:02 UTC 版)
ウマル・ハイヤームの時代のイスラムの天文学者は、すでに「太陽中心説(地動説)」を知っていたが、それを公言することはイスラム教の正統主義から攻撃される危険があったため黙っていたと推測する説がある。その根拠のひとつは、ウマル・ハイヤームの四行詩(ルバイヤート)の中の次の一首である。 廻るこの世にわれらまどいて思えらく そは廻転提灯の如しと太陽は灯にして世界は提灯の骨われらその内に影絵の如く右往左往す このほか、コペルニクスの地動説も、実はイスラム世界の天文学にその原型があったと推測する学説すらある。 一方、アブー・ライハーン・アル・ビールーニー(973年 - 1048年)は、その著書『マスウード宝典』にて地動説を記載している。また、(地動説かどうかは不明だが)アッバース朝のマアムーンの時代に、アル=フワーリズミーがユーフラテス川の北、シンジャール平原やパルミラ付近で地球が球体であるとの前提で経緯度および子午線弧長の測量を行っている(その測量結果からすると、地球の周長は3万9,000キロメートル、直径は1万500キロメートルとなる)。
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