中世イギリスの音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 06:15 UTC 版)
「イギリスの音楽」の記事における「中世イギリスの音楽」の解説
11世紀以降、セイラム(ソールズベリーの古名)でソールズベリー聖歌が発達し、この聖歌はイギリス国教会の成立まで盛んであった。また、13世紀末の「夏は来りぬ Sumer is icumen in」は、現存する世界最古のカノンである。13世紀前後のフランスのカロルという舞曲がイギリスに伝えられ、14〜15世紀になると多くのキャロルが作られた。キャロルは、500編の歌詞と100曲あまりの旋律が残されている。14世紀から15世紀には、イギリス独自の3度や6度和音を利用した多声音楽の方法が開発された。イギリスは島国であり、百年戦争で大陸との接触が無くなると、大陸で廃れた技法、例えばノートルダム楽派のイソリズムが使用され続けられ、独自に発展した。百年戦争末期になるとイングランド王国が北フランスを占領し、大陸とイギリスの音楽家の交流が始まった。この時代の重要な作曲家が、リオネル・パワー(1375年頃 - 1445年)とジョン・ダンスタブル(1380年頃 - 1453年)である。特にダンスタブルは、大陸にイギリスの和音の技法を伝えブルゴーニュ楽派を成立させるとともに、イギリスにフランスの新しい技法(フォーブルドン)を伝えた。 ソールズベリー聖歌 キャロル ジョン・ダンスタブル リオネル・パワー
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