中世イングランドの3カ国語併用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 15:41 UTC 版)
「アングロ=ノルマン語」の記事における「中世イングランドの3カ国語併用」の解説
最も古いフランス語の記録とされるものの多くは、正確にはアングロ=ノルマン語である。フランスでは、貴族階級、教育、商業、ローマ・カトリック教会で用いられる言語はラテン語であり、記録もラテン語によって行われたため、文書が日常語で書かれることはほとんどなかった。イングランドでもラテン語は1066年のノルマン・コンクエスト以前からアングロ=サクソン語と併用されていたが、中世においてもラテン語が消失することはなく、教会、王朝、地方行政の多くでラテン語が用いられた。 13世紀半ばにフランスでフランス語を書面語に用いる動きが起こったが、同じ頃イングランドでもアングロ=ノルマン語が主たる書面語になった。この頃からアングロ=ノルマン語に変種が目立ちはじめ、非常に地域化したものから、パリのフランス語と近似した、場合によっては見分けがつかないレベルのものまで多様化した。そのため、一般に地方の文書は大陸のフランス語と非常に隔たったものになる一方で、外交文書、国際交易文書はその頃大陸に起こり始めた文章規範と非常に近似したものであった。ただし、この時代にも英語は日常語であり続けていた。1362年、イングランド王エドワード3世は、「訴答手続き法」を制定し、英語をイングランドにおける唯一の公用語とした。しかし、18世紀までは、アングロ=ノルマン語は「法律用フランス語」として使われ続けた。
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