一蓮托生
一蓮托生(いちれんたくしょう)とは、複数の人々が運命を共にすることを意味する言葉である。この表現は、仏教の教えに由来し、死後に極楽浄土で同じ蓮の花の上に生まれ変わることから来ている。具体的には、どのような結果が待ち受けていても、共に行動し、運命を共有する覚悟を示す際に用いられる。この言葉は、困難な状況や挑戦を共に乗り越える意志を持つ人々の間で、結束力や連帯感を表現するために使われることが多い。 一蓮托生は、家族や友人、恋人同士、またはビジネスのパートナーなど、さまざまな関係性において用いられる。この言葉は、互いに支え合い、どんな困難も共に乗り越えるという強い絆を象徴する。また、現代では、共通の目標や夢を追い求める人々の間で、その絆や連帯感を強調する際にも使用される。 一蓮托生の語源は、仏教の浄土真宗における極楽浄土への思想にある。蓮の花は、その美しさと清らかさから、仏教では極楽浄土に咲く花とされており、死後に同じ蓮の花の上で再生することは、究極の絆と共生を象徴する。
一蓮托生
「一蓮托生」とは、行動や運命を最後まで共にすることを意味する表現である。
「一蓮托生」とは・「一蓮托生」の意味
「一蓮托生」とは、結果が良くても悪くても仲間と最後まで運命を共にし、一緒に行動することを意味する。「死んだ後に極楽にある蓮華の上でともに生まれる」という仏教の考え方が元となっている。本来は「親子や夫婦が死後までも仲良く幸せを共にする」という意味で使用されており、悪い結果が予想される場合には使われなかった言葉である。しかし江戸時代に、心中した男女にも「一蓮托生」という言葉が使われるようになってから「いい結果だろうが悪い結果だろうが運命を共にする」という意味が追加された。そのため広辞苑にも「死後、ともに極楽に往生して同一の蓮華に身を託すること。良くも悪くも行動や運命を共にすること」とある。
現代では「結果の良し悪しに関わらない運命共同体」を指して使われることが多い言葉であるが、「死後も幸せに共に過ごす」という本来の意味をこめて、結婚して夫婦になることを「一蓮托生」と言うこともある。恋人同士についても、親子や夫婦のようにかけがえのない間柄という意味で「一蓮托生」と表現しても問題はない。
「一蓮托生」はビジネスにおいても多用され、この場合は「共通の目的を達成するための仲間」といった意味合いで使用されることが多く、「連帯責任を負う者同士」という意味が含まれる。また、「一蓮托生」を何が起こっても仲間を見捨てない、絆を大切にするという意味で座右の銘とする人もいる。
「一蓮托生」の語源・由来
「一蓮托生」は仏教の一派である浄土真宗の、死後に極楽浄土でひとつの同じ蓮華の上に生まれるという浄土思想を由来とした言葉である。日本で生まれた言葉で、信仰を同じくする仲間や家族と死んだ後も幸せに共に暮らしたいという願いがこめられている。「一蓮」は一つの蓮の花を意味する。蓮の花は仏教では極楽浄土に咲く花とされる。水生の植物である蓮は泥の中から真っすぐに茎を伸ばして美しい花を咲かせるが、その様子から「泥から生まれても、なお清らかで汚れのないもの」とされ、仏教の教えに通じるとされた。このため仏を描いた絵や仏像では蓮が仏の台座として多用されている。
「托」は他人の手にのせて預け、処置を任せるといった意味があり、そこから「自分の身を預ける、託す、よりどころにする」という意味へ派生している。「托生」は「よりどころにして生まれる」といった意味である。
「一蓮托生」の熟語・言い回し
「一蓮托生」を使った言い回しには次のようなものがある。一蓮托生の関係とは
「一蓮托生の関係」とは、運命を共にする間柄のことを表す言葉である。「一蓮托生の仲」や「一蓮托生の間柄」などと言う場合もある。心と体が強く結びつき切っても切れないような関係や、互いにかけがえがなく何があっても離れるつもりのない者同士のことを表す。
良くない結果が予見される場合にも使われ、「死ぬ時は一緒だ」といった覚悟を含んだニュアンスでも用いられる。「一蓮托生の関係」の類義語には「運命共同体」「一心同体」「死なば諸共」が挙げられる。
「一蓮托生」の使い方・例文
「一蓮托生」を用いた例文には以下のようなものがある。・夫婦となって、これからは一蓮托生だね。
・どんな困難にぶつかっても一蓮托生で乗り越えていこう。
・たとえこの先何があっても、離れずに一緒にいよう、私たちは一蓮托生なのだから。
・自分は会社と一蓮托生なのだと改めて思った。
・家族とは一蓮托生の関係である。
・この試合が今年最後だ、皆、一蓮托生で勝利を目指そう。
・結婚して一蓮托生となったと思っていたのに、まさか3年で離婚することになるとは思ってもみなかった。
・プロジェクトを成功させるために、一蓮托生で取り組んでいきましょう。
・あいつとは一蓮托生の間柄で、今までもこの先もずっと共に生きていくだろう。
・自分たちは一蓮托生なのだと思うと強い絆で結ばれているように感じた。
一蓮托生
一蓮托生とは、複数の人が最後まで運命を共にするという意味のこと。困難を共に乗り越えよう、もし悲運が待ち受けていても痛手を共に分かち合おう、というような覚悟を決めたニュアンスで用いられることが多い。
「一蓮托生」は、仏教の死後の世界観に由来する言葉であり、もともとはひとつの同じハスの花(蓮華)の上に生まれ変わり身を寄せ合う、という意味合いである。生前に功徳を積んだ者は死後に極楽浄土へ行い、一緒に神聖な蓮の台座の上に座れるという考え方を、一蓮托生といった。
英語では be in the same boat(同じ船に乗っている)という言い回しが「一蓮托生」と同じ意味合いで用いられる。ただし場合によっては「呉越同舟」のニュアンスで用いられることもある。
一蓮托生は「結果の良しあしに関わらず行動を共にする」という思いを込めて用いられる言葉。とりわけ、行動を共にする相手にその意思を伝えるような場面で用いられることが多い。
「一蓮托生」と意味の似た四字熟語に「一心同体」が挙げられる。一心同体は現時点で強い絆がある様子を表現するニュアンスが色濃く、一蓮托生は今後の成り行きを強い絆で乗り越えていくニュアンスが色濃い。文脈によっては「旅は道連れ世は情け」「死なば諸共」「桃園の誓い」のような言葉も「一蓮托生」を代替する表現となり得る。
いちれん‐たくしょう〔‐タクシヤウ〕【一×蓮×托生】
一蓮托生
- 生死を共にすることをいふ。死して後、同じ蓮台の上に坐すといふ意味から起つたものである。
- 極楽往生し来世で同じ蓮華の座を占めるといふ意から生死進退を共にすること、政治用語では閣員全体が内閣の責任を共同に背負ふこと。
分類 政治
一蓮托生
一蓮托生
一蓮托生と同じ種類の言葉
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