ヨーロッパにおける精油療法の発展とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ヨーロッパにおける精油療法の発展の意味・解説 

ヨーロッパにおける精油療法の発展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 02:14 UTC 版)

アロマテラピー」の記事における「ヨーロッパにおける精油療法の発展」の解説

en:Distillation#History」、「ハンガリー水」、および「香水」も参照 中世ヨーロッパでは、香料植物の栽培と利用もっぱら修道院行われアラビアから錬金術伝来するまで、植物成分植物油ワイン浸出して用いた当時西洋文化圏最先端であるユナニ医学アラビア錬金術は、十字軍によるアラビア侵略契機徐々にイタリアスペインなどヨーロッパ伝わっていった。(キリスト教における香油利用については「病者の塗油」(終油の秘蹟)、儀式での香り利用は「振り香炉」などの記事参照のこと。) アラビア錬金術は、12世紀にはヨーロッパ伝わった蒸留術はヨーロッパでさらに改良されたようであり、蒸留液が効果的に冷却できるようになった13世紀になると、貴金属製造目的とするものと、パラケルスス1493年|1494年 - 1541年)に代表される医学的な錬金術分かれた医学的な錬金術では、蒸留などの化学操作によって、自然物含まれる第五精髄(クインタ・エッセンティア(quinta essentia)、第五元素エーテル)の抽出目指され、パラケルスス医化学の祖と呼ばれる。 こうして蒸留技術医療面で広く求められるようになり、ルネサンス時代には多く蒸留書が書かれた。ドイツ外科医ヒエロニムス・ブランシュヴァイク(英語版)(1450年 - 1512年)『蒸留術の書』(または『蒸留小書』、Liber de arte distillandi simplicia et composita、1500年)がよく知られている。この本では、蒸留法器具蒸留物保存法原料となる植物蒸留水効能について説明された。第2版には、精油療法理論的な背景として、マルシリオ・フィチーノ1433年 - 1499年)が健康と長命について語った生について』(De Vita1489年ドイツ語訳収録された。この本は、聖職者や一部の貴族だけが修得したラテン語ではなく一般読み書き使われドイツ語書かれており、外科医床屋外科医)や薬剤師薬種商材料を扱う商人)など知識層以外の人々にも広く読まれた。(外科医薬剤師徒弟入って修行する一種職人であり、商人である薬種商と共に知識階級ではなかった。)17世紀初頭まで50版以上出版された。 精油病気予防治療広く使われ14世紀繰り返し流行したペスト治療にも用いられた。(ペスト当時ヨーロッパ人口の3分の1から3分の2死亡させた。)ルネサンス期フランス医師占星術師であったノストラダムス1503年 - 1566年)は、ペスト患者舌下バラ精油を含む丸薬置いて治療行った記録されている。 蒸留技術一般化精油生産量増大し14世紀頃にはヨーロッパ全域ハーブ栽培一般化した。これにより、中流家庭にも簡単な蒸留器導入され自家製芳香蒸留水などが作られるようになった15世紀にはいると、イタリアで様々な薬用リキュールつくられるようになり、1480年には、医学の町として知られるイタリアの都市サレルノで、精油成分を含むリキュールとして生産された。ハーブ製品精油リキュール生産され各地運ばれ販売された。 幼年教育の祖フリードリヒ・フレーベル故郷として知られるドイツ・テューリンゲン地方にあるオーベルヴァイスバッハ(英語版)はハーブ精油・香膏などの香油ドイツ語:Olitaten、英語:perfumed oils)、チンキ剤石けんなどのハーブ製品産地として何世紀にもわたって知られていた。原料となる植物採取するエリアは各家庭受け継がれハーブ販売するルートも父から息子受け継がれた。彼らは精油などのハーブ製品ヨーロッパ中に売り歩き、Buckelapotheker (英語:Rucksack Pharmacists、リュックサック薬屋)と呼ばれたペストとしても重宝されリキュールなど良い香りのするアルコールは、のちに香水として利用されるようになったラベンダーハンガリー水ローズマリー)が香水原型といわれる中世西ヨーロッパ医学英語版)では、病気の原因瘴気ミアスマ、悪い空気)であると考えられた。そのため、人々ペストなどの病気を防ぐために、ハーブスパイス成分を溶かし込んだ香水付けスパイス焚いて街を消毒しポマンダー香り玉)や香りの強い花束持ち歩いた。強い匂い瘴気を防ぐと考えられたため、これらを入手できない貧し人々は、臭い靴下タール塗ったロープなどで代用したルネサンス期14世紀)の蒸留技術発達で、イタリアで香水製造技術急速に進歩し地中海沿岸地域のイタリア・フランス南部では、王侯貴族富裕層の間で香水流行した18世紀終わりには、フランスグラース香水生産地として栄えたリキュールなど良い香りのするアルコール香水)は、外用内服用として19世紀まで治療使われていた。1810年ナポレオン条例によってフランス国内で販売される香水成分明記することが義務付けられると、製造業者大半成分明らかにすることを嫌ったため、医薬用除いて国内市場から締め出され香りを楽しむ香水衛生領域分かれていった。

※この「ヨーロッパにおける精油療法の発展」の解説は、「アロマテラピー」の解説の一部です。
「ヨーロッパにおける精油療法の発展」を含む「アロマテラピー」の記事については、「アロマテラピー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ヨーロッパにおける精油療法の発展」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨーロッパにおける精油療法の発展」の関連用語

ヨーロッパにおける精油療法の発展のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨーロッパにおける精油療法の発展のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのアロマテラピー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS