中世・近代初期ヨーロッパ医学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 05:59 UTC 版)
「医学史」の記事における「中世・近代初期ヨーロッパ医学」の解説
「中世ヨーロッパの医学」、「ユナニ医学#ヨーロッパへの影響」、「モリエールの医者諷刺」、および「アロマテラピー#ヨーロッパにおける精油療法の発展」も参照 中世ヨーロッパではギリシャ・ローマの学問の成果の多くが失われた。中世初期の医学知識の主流は、主に修道院などに保管されて現存していたローマの文献だった。これらの施設にはしばしば病院が併設されていた。また、医学知識を代々伝承し、地域的な民間療法が行われた。 ベルギー人解剖学者・医師アンドレアス・ヴェサリウスやウイリアム・ハーベーなどの個人の研究により、一般に認められた民間伝承が科学的に検証されるようになった。彼の主著『人体の構造についての七つの書』(De humani corporis fabrica)は、ガレノスの著作や方式に大きく影響されているが、心臓、静脈体系、肝臓、子宮、上顎骨などに関するガレノスの誤りを証明した。また、近代神経学の発展は、16世紀、脳の解剖学その他について述べたヴェサリウスに始まるとされる。ただし、ヴェサリウスは脳その他の解剖学について記したが、脳機能については脳側室に中心があると考えながらも、よく分かっていなかった。医学の理解と診断は進歩したが、治療はあまり改良されず、健康への直接の利益は少なかった。有効な薬は、アヘンとキニーネ以外にほとんど存在せず、民間療法と潜在的な毒性がある金属化合物とがポピュラーな治療法であった。
※この「中世・近代初期ヨーロッパ医学」の解説は、「医学史」の解説の一部です。
「中世・近代初期ヨーロッパ医学」を含む「医学史」の記事については、「医学史」の概要を参照ください。
- 中世・近代初期ヨーロッパ医学のページへのリンク