中世・近世・民俗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/28 02:38 UTC 版)
「ふじみ野市立大井郷土資料館」の記事における「中世・近世・民俗」の解説
「中世の大井」コーナーでは、はじめに大井宿の前身とみられる中世の本村遺跡から青磁碗、青磁皿、白磁皿が発見されていることから1ケースを使用して展示している。 江戸時代前期の作ではあるが、鎌倉時代に盛行した善光寺式阿弥陀三尊像を展示するとともに、鎌倉時代の半ばから旧大井町亀久保周辺を支配した二階堂氏が地蔵院に寄進した十三仏の掛け軸など、中世のひとびとの信仰を紹介している。また、大井町域から発見された南北朝時代の板碑を展示している。 また中世文書で、天正15年(1587年)7月の日付のある後北条氏印判状は、旧大井町域では豊臣秀吉の小田原征伐にそなえて兵士となる者を徴集しようとしていたことを示す生々しい資料であり、旧上福岡市域では年貢の徴収を督促する文書があるが、現状で中世まで考古の展示、近世以降は舟運関連展示に特化している上福岡歴史民俗資料館では直接みられず、大井郷土資料館でのみ常設展示でみることができる。 「近世の大井」コーナーでは、江戸時代初期の「正保の絵図」、検地帳や年貢割付状などの集落の成立や旧大井町域の江戸時代の政治状況をうかがわせる資料を展示している。中世からの大井郷をひきついだ大井宿に加えて、苗間、鶴岡(つるがおか)、亀久保の集落が形成されていった様子を知ることができる。 展示室の中央には、昭和6年の地割図をもとに聞き取り調査で幕末の大井宿の様子を復元した大型模型が置かれている。宿場町でつかわれていた人足札、宿場の中央に立てられた高札、大井宿の本陣であった新井家でつかわれた椀や膳などが模型の向かい側に展示されている。武州一揆などの騒乱をふせぐために、旧上福岡市域でも幕末に農兵が徴集されたが、旧大井町域でも農兵の徴集があったことを示す文書が展示されている。近世・近代について上福岡歴史民俗資料館が舟運関連の展示が中心であるのと異なり、宿場関連の資料が展示されていることで地域の成り立ちや個性が異なることが明確になっている。 常設展示の最後は、埼玉県指定文化財になった武蔵野の畑作農具が一部展示されている。はやくから団地建設や市街化が進み、住宅地を離れた低地には水田がひろがっていた旧上福岡市域(標高6~20mほど)と異なり、旧大井町域はやや標高が高い台地上(標高20~40mほど)であること、大井宿以外の市街化が遅れたことから畑作地がひろびろと維持された。そのため貴重な畑作農具が伝わることができたことを示している。
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