中世・隠者の死生観
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中世はまた「侘び(わび)」「寂び(さび)」という日本独自の美学上の概念を生んだ時代でもあった。ここでは、当時は少数派であったものの後世へ影響力が大きかった隠者文学における死生観を扱う。 隠者とは俗世との交わりを避け隠遁する者達で、西行、鴨長明、吉田兼好(近世ではあるが松尾芭蕉も)が代表的な隠者文学者とされる。隠者の環境は厳しいところがあり、最低限の草庵での閑寂がその場であったがそれに安まらず旅に出る者も多かった。動機は強い無常観であり精神生活を支えるものは美と信仰であったという。彼らは旅の中でわびしい花鳥風月を多く詠み、芭蕉は『笈の小文』のなかで「鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化へかへれとなり」と述べる。この造化とは造物神によって創られた森羅万象、大自然の意である。 美の観念は言葉に説明しがたい性質のものであるが西行の句を例に挙げてみる。 「(A)津の国のなにはの春は夢なれや (B)蘆の枯葉に風わたるなり」 (A)でなには(難波)の春のように一切は夢であると感じること (B)その一切は夢だということを蘆(あし)の枯葉のさびしさに象徴させて感じること この二つを合わせることで蘆の枯葉に一切万有のさびしさが感じられる風情を帯びるわけである。 さび系の美とは万有の悲しみ(無常)を美の中に(具体的には一木一草などに)見ることであったがその行き着いたところは死への美的安心であった。それは以下の句に表れている。 願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ 西行 中世文学研究者の石田吉貞によると「わび」は隠者生活の物質的側面、わびしい質朴さを基調とするものから出、「さび」は前述したように無常をものの中に見出しそこに美を感じ取るものであるという。
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