中世・近世のニワトリとは? わかりやすく解説

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中世・近世のニワトリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:59 UTC 版)

ニワトリ」の記事における「中世・近世のニワトリ」の解説

戦国時代にはキリスト教徒ポルトガル人西日本来航しカステラボーロ鶏卵素麺など鶏卵用いた南蛮菓子もたらした江戸時代初期寛永4年1627年)にオランダ商館一行江戸へ参府した際には道中ニワトリ鶏卵用意されたという。 江戸時代には無精卵孵化しない事が知られるようになり、鶏卵食して殺生にはあたらないとして、ようやく食用とされるようになり、採卵用としてニワトリ飼われるようになった寛永3年1626年)に後水尾天皇二条城行幸した際には鶏卵用いた「卵ふわふわ」が出され寛永20年1643年)の料理書料理物語』では鶏卵用いた各種料理菓子記されている。また、江戸初期には海外交易が盛んとなっており、朱印船によってり、大軍、接烏骨鶏祖先日本へと移入された。 江戸時代中期以降都市生活となった武士狩猟をする事が少なくなり、野鳥があまり食べられなくなり、代わって鶏肉食べられるようになった文化年間以降京都大阪江戸において食されるようになったとの記述が「守貞漫稿」にある。料理書において鶏肉鶏卵登場し1785年には「万宝料理秘密箱」という鶏卵料理書出版されている。 一般に江戸期大名家記録ではニワトリに関する記録見られないが、西国では佐賀藩の『諫早家日記貞享4年1687年)には長崎送られるニワトリについて記され、その食べ方は水炊き考えられている「水煮」と記されている。また、江戸後期天明8年1788年)には蘭学者司馬江漢が『江漢西遊日記11月15日条において長崎平戸屋敷においてニワトリ食したことを記しており、やはり同様に水炊きであった考えられている。 考古学においては江戸期遺跡からはチャボ程度小型種から大型軍鶏まで多様なニワトリ骨が出土している。これらは解体痕を持つ食用のみならず観賞用闘鶏用など用途別品種存在していたと考えられている。また、この時期には鎖国によって海外からの新品移入途絶えた代わりに、この時までに日本到達していた在来種地鶏)、小国軍鶏チャボ烏骨鶏各種改良され、さらに掛け合わされ各地特色ある品種次々と誕生し現代に伝わる在来種がほぼ形成された。

※この「中世・近世のニワトリ」の解説は、「ニワトリ」の解説の一部です。
「中世・近世のニワトリ」を含む「ニワトリ」の記事については、「ニワトリ」の概要を参照ください。

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