中世・近世のブタとは? わかりやすく解説

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中世・近世のブタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:22 UTC 版)

ブタ」の記事における「中世・近世のブタ」の解説

中世琉球王国属した沖縄県鹿児島県奄美地方では、古来からブタの飼育や食用が行われており、沖縄料理は「豚に始まり豚に終わる」ともいわれる1385年渡来したという黒豚アグー島豚=シマウヮー)が有名で、現在の沖縄料理では最も重要な食材となっている。17世紀以前牛肉同様の座を占めていたが、羽地朝秀改革によりウシ食用禁止された。その後中国からの冊封使節団接待するため王府によりブタ大量生産奨励されたことなども相まって牛肉代わる存在となっていった。しかし、昔は肉食それほど容易ではなく、「ハレの日」の料理として扱われていた。琉球王朝時代、豚は「ふーる」と呼ばれる所で飼育されていた。第二次世界大戦前沖縄では、豚肉料理食べられるのはせいぜい年に数回であり、普段ラード豚肉代用としてよく使われていたという。戦後沖縄アメリカ合衆国統治されると、米兵多く食べていたポーク・ランチョンミートの缶詰広く利用されるようになり、現代沖縄家庭料理欠かせない素材となった奄美地方支配した薩摩藩でもブタ飼って食べており、佐藤信淵著『経済要録』(1827年)には、薩摩江戸藩邸で豚を飼って豚肉売っていたと記録されている。西郷隆盛豚肉大好物であった伝わっている。江戸幕府最後征夷大将軍徳川慶喜は父徳川斉昭島津斉彬から豚肉送られていた(1845年5月2日6月6日)の書簡)ためか、豚肉好んで食べたので豚一様(豚好きの一橋様)呼ばれた新選組西本願寺駐屯時に松本良順のすすめで神戸から子豚持ち込み養豚していた。解体木屋町医者南部精一弟子頼んでいた。 長崎においても、鎖国中で数少ない外交窓口であったことから、駐在する中国人食用として豚が飼育されていた。卓袱料理にも取り入れられて、一部日本人食用として供給され司馬江漢がこれを食べた記録がある。多く日本人にとって忌み嫌われ中国人の豚好きを揶揄した楊貴妃きれいな顔で 豚を食い」という川柳がある。

※この「中世・近世のブタ」の解説は、「ブタ」の解説の一部です。
「中世・近世のブタ」を含む「ブタ」の記事については、「ブタ」の概要を参照ください。

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