蒸留物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:33 UTC 版)
古代ギリシャや古代ローマでもその技術は知られていたが、アラブ人が水冷のガラス製蒸留器をつかってこれを革新した12世紀ごろまで大規模にはおこなわれなかった。中世の学者は蒸留法が液体のエッセンスを抽出すると考えており、アクア・ウィータエ(aqua vitae、生命の水)は17世紀まであらゆる蒸留物一般をさす用語だった。さまざまな蒸留物の初期の使用法は、アルコールを含有するか否かを問わず多岐にわたったが、まず多いのが料理と医療目的であった。ブドウのシロップに砂糖と香辛料を混合したものはさまざまな疾患に処方された。バラの花弁を蒸留して得られるバラ水は香粧品・食材・手洗いに使用された。アルコールを含有する蒸留物(蒸留酒)は、綿片に浸して火を吐くアントルメ(コース料理の合間に出される一種の娯楽)に使うことがあった。動物に詰め物をして調理し、再度装飾して口にこの綿片を入れ、食卓に供する直前に点火した。 アルコールを含有する「生命の水」を中世の医師は高く評価した。1309年にヴィラノヴァのアルナルドゥスは、「健康を長続きさせ、余分な体液を排出し、心臓に活力を与え若さを保つ」と記している。中世後期にはドイツ語圏をはじめ各地で密造酒の製造が始まった。13世紀にはハウスブラント(Hausbrand:ゲブランター・ヴァイン gebrannter weinおよびブラントヴァイン brandweinという「燃焼した(蒸留した)ワイン」に由来する、「自家燃焼」の意)が普及し、これがブランデーのもとになった。中世末期には蒸留酒の消費が一般大衆に浸透していたため、15世紀後期にはその生産・販売の規制がはじまった。1496年にはニュルンベルク市が日曜日と公休日にアクアビット(Aquavit)の販売を禁じた。
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