プロダクションおよび初期の再演
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「オズの魔法使い (1902年のミュージカル)」の記事における「プロダクションおよび初期の再演」の解説
1901年のボームの脚本を書き替えるためにミッチェルは時事的なユーモアを追加するためにマクドナーを雇った。「雑な西部の駄洒落とギャグばかり」との批判を書いた『シカゴ・レコード・ヘラルド』紙の編集者に対し、ボームはマクドナーを東部にあるニューヨークのコメディ作家だと説明した手紙を送った。1904年6月26日の『シカゴ・トリビューン』への公開書簡でボームは、ミュージカルの仕上がりについて傷心しているとの噂に対して主張した。「初演において私の脚本の扱い方に不満を持っていることをうまく伝えることができないことを認める。成功している作家たちでさえ自身の作品の戯曲化に大満足する者は少ないだろう。彼らはおそらく観客にはわからないであろうオリジナル作品との大きな差異に気付くだろう」。彼はいくつかの改訂を試みたが最終的にやめた。「観客は楽しめるだろうが、作家が気に入るとは限らない。ジュリアン・ミッチェルが素晴らしいプロデューサーとみなされるだろう。彼は観客が観たいものを正確に表現するだろうし、それは通常成功する」。 3曲を除くオリジナルの楽曲のほとんどはポール・ティチェンズが作曲し、ボームが作詞した。数公演上演した後カットされた『The Guardian of the Gate 』、当時品がないとされた『The Different Ways of Making Love 』、『It Happens Every Day 』はナタニール・D・マンが作曲した。彼はのちに1908年のボームの映画/劇作『The Fairylogue and Radio-Plays 』の音楽を作曲することとなった。ボームの曲のほとんどはオペレッタのように物語と関わりがあったが、実際上演するとヴォードヴィルのようになり、他の作曲家による新曲にほとんど置き換えられた。ミュージカルで使用された最初の曲はのちにカカシの曲として有名になる『The Traveler and the Pie 』だが、当初ボームとティチェンズが『The Octopus; or the Title Trust 』で使用しようとしていた曲であった。ただしこの作品は上演されたことはなく、未完成であった可能性がある。ボームとティチェンの共同の作曲だが、唯一の例外として当時人気があり作品に残った。ジェイムズ・オディアとエドワード・ヒッチンソンは使用楽曲中最も賑やかな曲の1つ『Sammy 』を作曲し、トライクシー・トライフルがパストリアの前で失恋を歌う。レコーディングで最も新しいものはハリー・マクドナーによるものである。 魔女たちはほとんど出てこず、北の良い魔女ロキャスタが登場するのみであり、東の悪い魔女は特殊効果の演出で行なった。ドロシーの犬トトはイモジンという牛に置き換えられた。西の悪い魔女は登場せず、南の良い魔女グリンダもオリジナル・ブロードウェイ版には登場しないが、別の版で登場することもある。グリンダは第3幕にしか登場しないため、ミッチェルが第3幕を書き替えた時に削除され、ドロシー一行がパストリアから逃げようとする時のオズとグリンダの国の国境で終わるようにした。 新しい登場人物はオズの真の王でカンザスで運転士 をしていたパストリア王2世、そのガールフレンドでウェイトレスのトライクシー・トライフルなどである。ドロシーが家に帰りたいとする目的よりも、彼の王座復帰の方がやや重要視されている。他の脇役である精神錯乱者の女性シンシア・シンチはニッコロ・チョッパーのガールフレンドでありニミー・アミーの原型となった。ニッコロ・チョッパーはピッコロを演奏することができ、シンシアの曲のうち1曲でピッコロを演奏し、その後もボームはニッコロがピッコロを演奏できるとは言及していないが、オズ映画第1作目の1910年の映画『オズの魔法使い』でもニッコロはピッコロを演奏している。魔法使いはストックキャラクターのステレオタイプであるが演者にまかされている。彼はウィリー・ガイル卿やリスキット大将に助けられている。デイヴィッド・L・グリーンとディック・マーティンは『The Oz Scrapbook 』の中でウィリー・ガイル卿とリスキット大将を誤って入れ替えている。ドナルド・アボットは『How the Wizard Saved Oz 』の挿絵でこの誤りをネタにしている。 この作品の中の臆病なライオンなどの動物はパントマイムを基本としており話すことができない。ライオンの衣裳はリアルだが、1939年の『オズの魔法使』のバート・ラー演じる臆病なライオンとはかけ離れている。悪役で怖がらせるが、コミカルな役割である。他の登場人物の旅がそれほど重要視されずにコミカルに描かれ、ライオンの勇気を求めての旅は完全にカットされた。一行の旅の目的は、革命、留置により脇に追いやられながら取りあえず遂行される。窮地でデウス・エクス・マキナとして再度竜巻が起こり、ドロシーは家まで飛ばされる。 新たな話の展開の多くは事実上要領を得ない。キスのおまじないに加え、ドロシーの3つの願いの1つ目は重要視されていない。2つ目はカカシを生き返らせ、3つ目はダシュモフ・デイリー卿(ズボン役)がガールフレンドであるキャリー・バリーに書いた曲を覚える。この曲はボームとティチェンズによって書かれたが、グレン・マクドナーとアルフレッド・ボールドウィン・スローンの名が記載されていることがある。これは作品をより良くみせようとした偽装である。 この作品の1939年の映画『オズの魔法使』への最大の影響は「ミュージカル化」(ただしこの作品の音楽は使用されていない)であるとされる。他に第1幕終了時のポピーの花園のシーンなどがある。小説では野ネズミの大群が臆病なライオンの乗ったカートをポピーの花園から引っ張り出す。しかしこれは舞台上では難しく(ただし1974年のミュージカル 『ザ・ウィズ』では擬人化した取締官として登場)、ボームは脚本で雪の女王が起こした吹雪がポピーたちをなぎ倒す。これは1939年の映画版でグリンダが同様のことを行なう。この第1幕には精巧なダンス『Winter Jubilation 』が披露されるが、ジェイムズ・ペイトリック・ドイルはアルバム『Before the Rainbow: The Original Music of Oz 』の中でこの曲をシンセサイザーで演奏している。 この頃キャスト・アルバムは存在していなかった。観客は二度と観られない舞台にアンコールを何度も要求するため、当時の公演は4時間を超えることがしばしばあった。人気のある曲が何度も演奏され、これにより製作側は曲の存続またはカットの判断基準とした。当時セーリングとフットボール、2つのネタが人気があり、フットボールのネタはスポーツの暴力性をパロディ化したものであったが、どちらも新しいネタの台頭により演じられなくなっていった。 オリジナル・キャストにはドロシー・ゲイル役にアナ・ラフリン、カカシ役にフレッド・ストーン、ニック・チョッパー(ブリキの木こり)役にデイヴィッド・C・モンゴメリー、シンシア・シン チ役にヘレン・バイロン、ダシュモフ・デイリー卿役にベシー・ウィン、パストリア王2世役にギルバート・クレイトン、オズ役にボビー・ゲイラー、臆病なライオン役にアーサー・ヒル、トライクシー・トライフル役にグレイス・キンボル、牛のイモジン役にエドウィン・J・ストーンが配役された。この公演は場所を替え、ニューヨーク・シアターで上演された。1904年、アーカンソー州にあるホットスプリングス国立公園の中のオペラ・ハウスに遠征した。1905年までニューヨークでの公演は14番通りとアーヴィング通りにあったアカデミー・オブ・ミュージックに移行した。モンゴメリーとストーンはまだ役に付いていたが、ドロシー役はモナ・デスモンドに変更となった。トライクシー・トライフル役はマリオン・スタンリーに、ウィリー・ガイル卿役はジョージ・B・フィールドに、魔法使い役はチャールズ・E・ミッチェルになった。雪の女王役は男性のバート・ディーンが演じた。 1934年頃まで再演され続け、チャールズ・H・ピンカムがカカシ役を演じた。
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