プロジェクトの歴史
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「OpenOffice.org」の記事における「プロジェクトの歴史」の解説
サン・マイクロシステムズは、1999年、自社で使用するオフィスソフトのためにドイツのStarDivisionを買収した。そしてMicrosoft Officeに対抗するために2000年7月、同社が販売していたStarOfficeのソースコードをOpenOfficeとしてオープンソース化を発表。2000年10月に公開し、OpenOffice.orgプロジェクトを立ち上げた。 このプロジェクトには、サン・マイクロシステムズ、ノベル、IBM(2007年9月10日))、Google、インテル、レッドハット、Redflag Chinese 2000(2007年5月)などが参加し、サン・マイクロシステムズが管理を行った。 2002年5月1日、バージョン1.0をリリース。その後は順調にリリースを続けていたが、2010年、オラクルがOpenOffice.orgの知的財産権を所有していたサン・マイクロシステムズの買収を発表。2010年1月27日、オラクルによるサン・マイクロシステムズ買収完了に伴い、プロジェクトの管理はオラクルが行うこととなった。 2011年、OpenOffice.orgの商用サービスの提供を中止。2011年4月15日、オラクルは「OpenOffice.orgプロジェクトは非営利団体が管理するのが望ましい」と声明を発表し、2011年6月1日、Apacheソフトウェア財団へソースコードの著作権ならびにOpenOffice.orgの商標の提供を提案した。 Apacheソフトウェア財団は提案を受け投票を行い、開票の結果、2011年6月13日、Apacheインキュベータープロジェクトとして承認。提案の合意により、OpenOffice.orgの資産はオラクルからApacheソフトウェア財団に寄贈、譲渡され、OpenOffice.orgプロジェクトならびにOpenOffice.orgは正式に終了した。 寄贈を受けたApacheソフトウェア財団は、ソフトウェアの名称をOpenOffice.orgからApache OpenOfficeに変更。Apache OpenOfficeは、分派プロジェクトの中ではOpenOffice.org直系のプロジェクトであるが、2014年、開発を支援していたIBMが非公式に撤退して以降、開発が頓挫している。 詳細は「Apache OpenOffice」を参照 OpenOffice.org終了と前後して、2010年9月28日、OpenOffice.orgプロジェクトに参加していたメンバーは、オラクルとの関係やOpenOffice.orgプロジェクトの官僚的な管理の改善を求めてプロジェクトを離脱。LibreOfficeコミュニティの設立とコミュニティ支援組織としてThe Document Foundationを立ち上げた。そして、OpenOffice.orgに取り込まれなかった機能を取り込んだ派生版であるGo-OOのソースコードを元にLibreOfficeの開発を開始した。 LibreOfficeは、GNUと主要なLinuxディストリビューションが支持するほか、分派プロジェクトの中では最も活発に開発されており、OpenOffice.orgの実質的な後継プロジェクトとなっている。そして、頓挫したApache OpenOfficeに対しては、プロジェクトを終了するようにと公開書簡も出している。 詳細は「LibreOffice」を参照
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プロジェクトの歴史
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「フェーマルン・ベルトトンネル」の記事における「プロジェクトの歴史」の解説
2007年6月29日 - ベルリンにて、デンマークとドイツの当局(運輸大臣が代表した)が計画推進の暫定協定に合意した。デンマーク放送協会が伝えた詳細によれば、計画されているフェーマルン・ベルト連絡は、デンマークのレズビー(デンマーク語版)の東2キロメートルほどのところと、既にドイツ本土と橋で結ばれているフェーマルン島のプットガルテンの間を結ぶ19キロメートルになる。建設は2015年に開始される見込みで、2021年末には完成する見込みである。 2008年9月3日 - デンマークの運輸大臣カリナ・クリステンセン(デンマーク語版)とドイツの運輸大臣ヴォルフガング・ティーフェンゼーが、コペンハーゲンで開かれた式典においてフェーマルン・ベルト連絡路建設の条約に署名した。2009年3月26日に建設はデンマークの議会で承認され、2009年6月18日にはドイツの議会でも承認された。 2010年12月 - 斜張橋を利用する案は技術の限界に挑戦することになるため、トンネル案の方が建設上のリスクが少ないとして、橋ではなくトンネルを採用すると発表された。建設の工期と工費はおおむね同じである。 2011年1月 - デンマーク議会の多数がトンネル案に賛成票を投じた。しかし、両国の国内での承認手続きの完了が必要であり、このためにはドイツでは計画承認プロセスの申請が必要であった。デンマークでは、このプロジェクトは建設法案を議会で通過させる必要があった。 2011年12月16日 - ドイツ政府はフェーマルントンネルへ連絡する鉄道の建設を2015年以降へ遅らせることを発表した。デア・ノルドシュレーヴィヒャー紙によれば、ドイツの運輸大臣ペーター・ラムザウアー(ドイツ語版)は、2010年欧州ソブリン危機を受けて、ドイツ側での新たな社会基盤への予定されていた政府の投資額を25パーセント削減することを決定した。ただちには、この延期によりフェーマルン・ベルトプロジェクト全体へどのような影響があるかは明確ではない。 2015年2月25日 - フェーマルン・ベルトプロジェクトの建設法案がデンマーク議会に提出された。 2015年2月26日 - デンマークの運輸省がEUに対して、プロジェクトの建設段階に対して130億デンマーク・クローネ(17億ユーロ)の補助金交付を申請した。この申請には、スウェーデンの社会基盤大臣のアンナ・ヨハンソン(スウェーデン語版)とドイツの運輸大臣アレクサンダー・ドブリント(ドイツ語版)からの支持表明の文書が添付されていた。これに加えて、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州政府および、デンマーク、スウェーデン、ドイツの幅広い産業界の組織から申請を支持する表明が送られた。
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「Apache OpenOffice」の記事における「プロジェクトの歴史」の解説
OpenOffice.orgを管理していたサン・マイクロシステムズを買収したオラクルは2011年4月15日に、非営利団体が管理するのが望ましいと声明を発表し、2011年6月1日に、Apacheソフトウェア財団に、ソースコードの提供を提案した。 Apacheソフトウェア財団は投票を行い、2011年6月13日の開票結果を受けてApacheのインキュベータープロジェクトとして承認した。これによりApache OpenOfficeプロジェクトが開始された。その後、Apache財団の規定に沿うようにソースコードの確認や改修が行われた。 2011年7月14日、IBMはLotus SymphonyのソースコードをApache OpenOfficeプロジェクトへ寄贈することを発表し、2013年の初頭にはLotus Symphony使用者に同ソフトへの移行を促す計画がされている。 2011年11月17日、正式なブランド名についての投票結果により「Apache OpenOffice」と決定された。そして2012年5月8日に、Apache OpenOffice最初の正式版3.4.0の提供が開始された。
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プロジェクトの歴史
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1964年、イギリスの科学者グループが紫外線天文衛星のコンセプトをESAの前身機関である欧州宇宙研究機構 (ESRO) に提案した。しかし、この提案は当時のESROの技術力を超えていたため、Robert Wilson がNASAにコンセプトを提供した。NASAはこのアイディアを採用し、SAS-D (Small Astronomy Satellite-D)として発展させた。 SRC もこの計画に加わり、科学機器のソフトウェアと、スペクトルグラフのためのビジコンカメラを提供した。ESA はマドリッド近郊にある欧州宇宙天文学センターの地上局と太陽パネルを提供した。NASAは衛星の機体、望遠鏡、スペクトルグラフ、打ち上げ施設、ゴダード宇宙飛行センターの地上局を提供した。 観測時間は計画の貢献度によってNASA:2/3、ESA:1/6、SRC:1/6 と配分された。
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