ヒロポン史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:29 UTC 版)
日本では、太平洋戦争以前より製造されており「除倦覺醒劑」として販売された。その名の通り、疲労倦怠感を除き眠気を飛ばすという目的で、軍・民で使用されていた。 発売時は、メタンフェタミンの副作用がまだ知られていなかったため、規制が必要であるという発想自体がなく、一種の強壮剤として利用され、参天堂(ホスピタン)や小野薬品工業(ネオパンプロン)、富山化学工業(ネオアゴチン)など同業他社からも販売されていたが、その中でも大日本製薬のヒロポンは、最大の市場占有率を得た。こうしてヒロポンはアンフェタミン系をも含む覚醒剤の代名詞となった。 ヒロポンの効果については、医学界で発売以降に様々な研究をしていたが、効果は 之を服用すれば心氣を爽快にし、疲勞を防ぎ、睡魔を拂ふ等の興奮効果があり、しかも習慣性、蓄積作用等がないので、現在歐米各國の民間に於て興奮劑乃至能率増進劑として好んで使用されてゐる。即ち米國では Benzedrine、デンマークでは Mecodrin、ハンガリアでは Aktedron 等の名稱を以て盛に賣出されて居る。時局柄、產業、事務等各方面に於ける本劑の利用も或は一顧の價値あらんかと、ここに御紹介する次第である。 と、先に市販されている他国の例も出して、除倦覚醒効果が強く有用な薬品であるとしていた一方で、常習性はないと分析していた。また不眠、食思不振、頭痛、焦燥感などの副作用も臨床実験で報告されていたが、効果・副作用を分ける基準が、主として被験者の主観によるものが大きいとして特に問題にされていなかった。 日本軍での覚醒剤の使用目的は、当時の医学界の研究成果の通り、「疲労回復」や「眠気解消」や「士気向上」程度を期待されていたものと推定される。それを証明する証言として、戦後の国会での厚生委員会で、厚生省薬務課長が戦中の覚醒剤の製造認可に対する質疑で「ヒロポン等につきましては、特別に製造許可をいたしました当時は、戦争中でありましたので、非常に疲労をいたしますのに対して、急激にこれを回復せしめるという必要がございましたものですから、さのような意味で特別な目的のため許したわけでございます」と答弁しており、覚醒剤の使用目的は「疲労回復」であったと述べている。 薬学の専門家からは、メタンフェタミン自体が鎮咳剤エフェドリンの誘導体として開発された経緯もあり、初めは咳止め効果を期待していたが、覚醒効果の方が顕著だったために、主に眠気解消剤として夜間作業に関わる兵士用、特に夜間に飛行するパイロットに使用されていたという指摘もあり、「パイロットの塩」などと呼ばれるほど、塩なみのパイロットの必需品として使用していたドイツ空軍にならって、日本軍においても航空機パイロットに対しても支給された。戦闘機パイロットにはナチス・ドイツよりの「Fliegerschokolade」の情報を元にして生産された「ヒロポン入りチョコレート」が、疲労回復目的で支給されている。 ヒロポンの注射薬はナチス・ドイツから輸入された「暗視ホルモン」と呼ばれ、夜間戦闘機月光搭乗員として、6機ものB-29を撃墜した大日本帝国海軍のエース・パイロットである少尉・黒鳥四朗(偵察員・銃手)と飛行兵曹長・倉本十三(操縦士)のペアが、夜間視力が向上するとの事で、ヒロポンを注射されたと主張しているが、戦後にGHQに接収された海軍航空技術廠の資料によれば、「暗視ホルモン」の成分は、牛や豚の脳下垂体から抽出されたメラノフォーレンホルモンとされ、ナチス・ドイツからの輸入品ではなく日本国内で製造され、台湾沖航空戦で既に使用されており、ヒロポンとは全く関係のないものである。 ヒロポンは「本土決戦兵器」の一つとして量産され、終戦時には大量に備蓄されていた。日本の敗戦により、一旦はGHQに押収されたが、のちに日本軍の貯蔵医薬品の開放指令により、他の医療品とともにヒロポンも大量に市場に流出した。 酒やタバコといった嗜好品の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延した。その薬物依存症者すなわち「ポン中」(ヒロポン中毒者)が大量発生し、中毒患者が50万人を超えてしまう大きな社会問題となった。加えて、中毒者が行う不潔な注射器の使い回しは、ウイルス性肝炎の伝染機会を増加させ、輸血後肝炎が感染拡大する遠因となった。この時期芸能界にも蔓延し、多くの芸能人が常用していたことが、のちに明らかになっている。当時芸能界で活動したコロムビア・トップが、参議院議員に転身後国会において、ヒロポンが蔓延した当時の芸能界を証言したことがある。そのほか、ビートたけしなども芸能界によるヒロポン蔓延について様々な場において触れており、例えば初代三波伸介や東八郎の早世の原因にあげている。 詳細は「覚醒剤取締法#経緯」および「大日本住友製薬#商標」を参照 1949年(昭和24年)、厚生省はヒロポンを劇薬に指定、製造業者に対し、覚醒剤としての製造を禁止するよう勧告し、1951年(昭和26年)に覚せい剤取締法を施行したことに伴い、日本では「限定的な医療・研究用途での使用」を除き、覚醒剤の使用・所持がすべて厳禁されている。 詳細は「覚醒剤#日本における法規制」および「覚醒剤取締法#刑罰」を参照
※この「ヒロポン史」の解説は、「メタンフェタミン」の解説の一部です。
「ヒロポン史」を含む「メタンフェタミン」の記事については、「メタンフェタミン」の概要を参照ください。
- ヒロポン史のページへのリンク