ネットワークと放送エリア
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「RKB毎日放送」の記事における「ネットワークと放送エリア」の解説
山口放送との関係 - 1953年(昭和28年)3月26日に山口県防府市に防府中継局を設置する免許申請を行ったが、ラジオ山口(KRY)の周南放送局開局申請との競願となった。その後、山口県知事の斡旋でKRYはRKBと業務協定を行う事となり、RKBは申請を取り下げた。しかし、1956年の開局時はライバルのKBCラジオの協力を取り付けたため、業務協定は結局実現しなかった。関門地区のテレビ免許でもRKBとKRYは競願の末、両社で西部毎日テレビジョン放送を設立。RKBがこれを合併した事で、一時KRYがRKBの経営に携わっていた時期があった。1982年(昭和57年)9月、RKBはTBSの意向を受けKRYのJRN加盟を承諾。 KNSネット - 1954年(昭和29年)5月1日よりラジオ長崎、ラジオ佐世保(共に現在の長崎放送(NBC))との間で、両局がローカル番組を除きRKB番組をそのまま放送する業務協定を行い、1958年一杯まで継続した。略称は、当時の放送局名(ラジオ九州=Radio Kyushu、ラジオ長崎=Radio Nagasaki、ラジオ佐世保=Radio Sasebo)の頭文字から取ったものである。 FOLネット - 1955年(昭和30年)ニッポン放送 (JOLF)、新日本放送(NJB。現在のMBSラジオ(MBS))とラジオスポーツ番組のラインネットワークを結ぶ。ラジオ中国(現在の中国放送(RCC))等の協力を得て1962年まで継続した。FOLとは、各局のコールサイン(RKBのJOFR、MBSのJOOR、LFのJOLF)から取ったものである。 幻の唐津進出 - 1958年(昭和33年)7月15日、佐賀県唐津市にラジオ放送局の免許を申請したが、却下されている。 テレビネットの変遷 - テレビ放送開始当時は、ラジオ東京と日本テレビ(NTV)から内容の優れた番組を自由にネットした。(いわゆるオープンネット状態)1958年(昭和33年)8月、テレビ西日本(TNC)の開局でNTV系列の番組が大幅に同局へ移行。1960年(昭和35年)2月1日、「四社連盟」(現在の「五社連盟」)の結成に伴い、KRT系列番組を編成の基本とする。1961年(昭和36年)4月、それまで九州朝日放送(KBC)で放送されていた日本教育テレビ(NET。現在のテレビ朝日(EX))の学校放送がRKBに移行。これを契機にNET系列番組のネットが増え、全放送時間の3割までを占めるに至る。1964年(昭和39年)10月、TNCがフジテレビジョン(CX)系列に、KBCがNET系列にそれぞれ移行し、学校放送以外のNET系列番組が姿を消す。一方、この一件で福岡地区での日本テレビ系列局が喪失した事から、NTV系列番組が復活。サス枠(いわゆる放送中断の時間帯)が埋まったことで念願のテレビ全日放送の実施が可能となった。1969年(昭和44年)4月、福岡放送(FBS)の開局に伴い、NTV番組が同局に移行。名実ともにJNN系列のフルネット局・基幹局となって現在に至る。ニュースネットは1958年にKRTと協定を結んで以来、KRT=TBS=JNN系列となっている。 FBS開局の背景 - 関門地区テレビ免許競願調整の際、毎日新聞系の西部毎日テレビジョン放送はRKBと、朝日新聞系のTNCはKBCとそれぞれ合併する事を条件に免許が与えられた。西部毎日テレビジョン放送は開局までにRKBと合併したが、TNCは結局KBCと合併しなかった。寧ろTNCは別の意味でKBCと手を結び、1962年に関門限定のTNCが福岡に、福岡限定のKBCが北九州にそれぞれ進出して、両地区を押さえていたRKBの強力なライバルとなった。収まらない当時の西部毎日関係者(九州電力系など)は、新規にテレビ局開設を計画。これに九州に進出して間もない読売新聞やネット局を失ったNTVが合流。FBS開局に繋がった。FBS開局にあたり、RKBから社員が移籍や出向して支援した。 ラジオニュース - 1953年(昭和28年)9月1日には、それまでの『毎日新聞ニュース』(後のRKB毎日ニュース)に加え、『西日本新聞ニュース』も放送するようになった。1967年(昭和42年)2月、定時ニュースは、北九州市の毎日新聞西部本社に設置したニューススタジオから放送する事となり、RKB報道部と毎日新聞社の共同制作に変更された。この他、西日本新聞社からは別途地域生活情報の提供を受ける事となった。1970年(昭和45年)10月、RKBのラジオニュースは、すべて福岡のRKB報道部で制作される事となり、現在に至る。 エリア外の進出 - 1954年(昭和29年)、東京支社にラジオスタジオが完成し、ニュースやドラマなど一部のRKB番組が制作された。当時の経営陣はこのスタジオの有効活用を図り、同じ毎日新聞系列のラジオ福島(rfc)に対し、一時期このスタジオで制作された毎日新聞ニュースの同時ネットを行った。また、このスタジオを使用して神奈川県域でラジオ放送局免許を取得し、関東地方に放送局を設置する計画があったが、競願の末ラジオ関東(JORF。現在のラジオ日本)に一本化され、結局RKBは関東進出を果たせずに終わってしまった。ただしラジオ関東は1977年12月まで毎日新聞のニュースを放送していた。
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