トミスへの追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:06 UTC 版)
詳細は「オウィディウスの追放(英語版)」を参照 西暦8年、オウィディウスは皇帝アウグストゥスの命によりトミスに配流される。トミスは黒海に面した港町で、元はギリシアの殖民都市であったところ、紀元前29年にローマ帝国がオドリュサイ王国から奪い、ドナウ川以遠のリメス・スキュティクス属領に編入した地である。当時はローマの勢力圏が及ぶ範囲の端にあり、21世紀現在はルーマニアの港湾都市コンスタンツァとなっている。 この配流は、一切の法に基づく裁判が行われず、皇帝個人の独断的な干渉により決まった。元老院による助言もなかった。この事件は以後の作品のすべてに決定的な影響を及ぼす。オウィディウスは追放の原因を carmen et error – 「一つの詩と一つの過ち」と表現し、「わが罪は殺人より重く」「誰かを傷つけること、詩よりもはなはだしい」と詠んだ。 皇帝の孫である小ユリアとアグリッパ・ポストゥムスもまた、オウィディウスの配流と時をほぼ同じくして配流されている。小ユリアの夫、ルキウス・アエミリウス・パウルス(英語版)が皇帝に対する謀議に加わったとして誅殺されたが、オウィディウスはこの陰謀を知っていたかもしれない。 アウグストゥス帝により紀元前18年に制定されたユリア法(英語版)は獣姦や姦通など「不自然な」(天理に背く)行為を規定しこれに刑罰を設定した法であるが、出生率を上げるために一夫一婦制を推進し、ローマ人の意識に新風を吹き込むことでローマの風俗を改良しようとするものであった。オウィディウスの『恋の技法』はユリア法に照らして重い姦通となる行為を扱っている。皇帝が定めた風紀を破壊しかねない「恋のてくだ」をはじめとする彼の抒情詩ゆえに、彼は追放の憂き目にあったのかもしれない。しかしながら、この作品の公表(紀元前1年)から追放(西暦8年)まで、長い時間が経過していることに鑑みると、アウグストゥスは何かもっと個人的な理由でオウィディウスの追放を決心し、風紀紊乱は口実に過ぎないのではないかという説もある。当時自由に流布していたプロペルティウス、ティブッルス、ホラティウスの作品の中には、下品さという点で「恋のてくだ」とそう変わらないものが多数あるという事実によってもこの説は補強される。 オウィディウスの追放の原因がはっきりしないため、現代に至るまで幾多の学者たちが終わりのない論争を続けることとなった。追放について言及した中世の文献で、信用に足る説明をなしえたものはない。中世の学者たちの説は、オウィディウスの著作の部分部分を恣意的に解釈したものばかりである。オウィディウスが作品の中で自分の犯した罪について語った部分は約33箇所あるが、いずれも曖昧であるか、もしくは相矛盾する手がかりを提供するものである。 1923年にネーデルラントで、現代ラテン文化圏の古典学者の間ではあまり考慮されてこなかった説がライデン大学の古典ラテン文学者ヤコブス・ヨハンネス・ハルトマン(オランダ語版)により肯定的に取り上げられ、1930年代に同国を中心に大いに議論された。それはオウィディウスがローマを追放されたことは一度もなく、追放後の作品のすべては詩人の豊かな想像力の産物である、という説である。 オウィディウスによる文学的虚構を疑う説は、1985年にフィトン・ブラウンがこれを支持する内容の論文を発表し、新たな論点をいくつか提供すると共に、停滞していた議論を前進させた。同論文に対しては以後5年間という短い間に激しい賛否両論が湧き上がった。ブラウンによると文学的虚構説は、主に次の3つの理由により支持される。 オウィディウスの追放について言及する同時代の文献が、大プリニウスとスタティウスによる真意のはっきりしない文章における言及 を除くと、彼自身の作品以外に存在しない。4世紀になって始めて他の作家による言及が現れる。 『名婦の書簡』の作者たるオウィディウスならば詩的自我を現実生活上の自我から分離させて、一人歩きさせることは、なしうる。 トミスの地誌学的情報はウェルギリウスの著作からもヘロドトスの著作からも既に知りうるものとなっていたし、オウィディウスの『変身物語』にもスキュティアについての言及はある。 しかしながら、オーソドックスな研究スタイルの学者たちはこれらの仮説に反対する。主要な反論の一つとしては、もし仮説が正しいとするならばオウィディウスは『祭暦』を未完のままにしておかなかったであろう、という反論がある。『祭暦』は帝国詩人として彼がその身を捧げたに等しい詩作であるからである。
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