トミスラヴ王高速道路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/08 06:04 UTC 版)
「A1号線 (高速道路)」の記事における「トミスラヴ王高速道路」の解説
ザグレブ-スプリト高速道路、今のA1は、1971年3月5日クロアチア社会主義共和国議会によって指定された、高速道路として開発する3つの道路のうちの1つだった。もともとは、ザグレブからビハチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)まで通り、次にクニン経由でスプリトに向かうルートが計画されていた。ボスニア・ヘルツェゴビナ政府は、同年、ビハチ地域の道路建設を承認した。道路の建設は、公的融資を募って開始された。最初に公的融資を通じて集められた資金は、20km分であった。 ザグレブからカルロヴァツ間の39.3kmが、ザグレブ-リエカ高速道路として1972年に完成した。今のA1の一部である。ザグレブからリエカ・スプリトへの高速道路の建設は、クロアチアの春で交代した指導者によって中止が決定した。その後、28年の間中断されたままだった。建設中止の本当の理由は、高速道路が国家主義的なプロジェクトだと考えられていたためだと思われる。この結論は道路が非公式に、トミスラヴ王高速道路(クロアチア語: Autocesta kralja Tomislava)の愛称で呼ばれたという事実によって裏付けられる。公的融資を通じて調達された資金は数か月間使用されず、その後、今のD1号線とD30号線の一部であるヴリカとストルミカの間の道路の建設に充てられた。しかし、 国際連合欧州経済委員会はこの道路をピュールン・アウトバーンの最南端とし、1975年にE59号線に指定した。2008年のE-roadネットワークの再編成により、ザグレブの南のルートがE71号線に移行した。
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