シリア語訳の歴史とは? わかりやすく解説

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シリア語訳の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 02:04 UTC 版)

ペシタ訳」の記事における「シリア語訳の歴史」の解説

出エジプト記13章14-16節のペシタ訳本文は、西暦464年アミダ作成された。 「ペシタ」という名前は、9世紀シリア語標準的一般的な聖書として最初に受け入れられたもので、モシェ・バル・ケファ(Moshe bar Kepha)によりそう名づけられた。とはいえペシタ訳がその名をとどめる前にも、明らかに長く複雑な歴史があった。事実ペシタ訳旧約聖書新約聖書で別々の翻訳作業なされたのであるペシタ訳旧約聖書シリア文学最初期のもので、おそらく2世紀書き始められたものである大多数初期キリスト教会がギリシャ語七十人訳聖書頼り旧約聖書もそれを翻訳したのに対しシリア語母語とする教会旧約聖書ヘブライ語から直訳したのである翻訳の原写となったヘブライ語本文は、中世または現代ヘブライ語聖書にあるマソラ本文極めてよく類似したにちがいない。昔の研究者は、ペシタ訳アラム語タルグムから翻訳されたと主張していたが、現在その見解退けられている。とはいえ本文のそばに何の説明加えことなくタルグム影響いくつか見られる(特にモーセ五書と『歴代誌』)。ペシタ訳旧約聖書翻訳様式翻訳の質は多種多様である。いくつかの部分は、教会引き継がれる前、シリア語母語とするユダヤ人により翻訳され、他の部分キリスト教改宗した初期ユダヤ人により作業なされたシリア語エデッサ言語なので、翻訳はその地方なされたようである。しかし、2世紀ユダヤ人広く影響与えたアルベラアディアバネ王国もその起源として提唱されている。幾人かの学者本文中に西アラム特徴思われるものがあると指摘している。彼らは、その元の翻訳パレスチナシリアなされたかもしれない提唱している。しかし、そうした特徴説明するのは極めて困難である。 ペシタ訳新約聖書原本次の二つシリア語福音書があったおかげで完成した。ディアテッサロンと古シリア語訳である。シリア語翻訳され最初新約聖書タティアノスのディアテッサロン(「四つ一つに」の意)と思われる西暦175年ごろ記されたディアテッサロン以外に、単一物語の中に四福音書調和させたものはない。ディアテッサロンは一時期4つ別個の福音書勝りシリア語の公式の福音書となり、その内容最高だ証言したシリアエフレム美し散文論評行ったとはいえシリア語を話す教会は他の教会慣行に従うことに反対し、4つの別々の福音書用いた西暦423年シリア上方ユーフラテス川沿岸キュロス主教司教となったテオドレトス200上のディアテッサロンの写本発見した。彼はその写本採集し片付けてしまい、その代わりに4人の福音書筆者による福音書紹介したのである。 ディアテッサロンではない四福音書を含む新旧両方聖書最初シリア語聖書は「古シリア語訳」と呼ばれる5世紀の古シリア語福音書写本が(Sinaitic Palimpsestクレトン福音書の)2つ存在する。これらはギリシャ語本文比較自由な翻訳であり、通称西方校訂文であり、明らかに言い回しにディアテッサロンの本文使用している。古シリア語福音書はおそらく3世紀完成したものと思われる(しかし、そのいくつかには4世紀初頭のものと算定されている)。古シリア語写本は、福音書旧約聖書引用として(またその存在最初証言として)、仮にその引用ギリシャ語極めて相違していた場合でも、ペシタ訳旧約聖書使っている。また古シリア語訳には『使徒行伝』やパウロ書簡翻訳もあったとする証拠もある。ただし、エウセビオスの『教会史4.29.5』によると、タティアノス自身はこうした翻訳退けたようである。 ペシタ訳は、シリア語母語とする教会総合聖書作るため、古シリア語文書再編集したものである。エデッサ主教司教ラブラ(Rabbula)の名は(d. 435)一般的にペシタ訳の製作に関連があるとされている。しかし、彼がペシタ訳作成に関わったとはあまり考えられない5世紀初頭までにペシタ訳シリア語母語とする教会標準的な聖書となったギリシャ語正典とは異なりペシタ訳には『ペテロ第二書簡』、『ヨハネ第二書簡』、『ヨハネ第三書簡』、『ユダの手紙』、『ヨハネの黙示録』は含まれていない。しかし、最初期現存するペシタ訳写本調査すると、いくらか変種があることが分かる。それにはその想定され代用品が出るまで長く存在していたディアテッサロンや古シリア語写本特徴含まれている。シリア語母語とする教会で後に分派発生したが、ペシタ訳はそれら分派全ての共通の聖書にはならなかった。 西方シリア教会では東ローマ帝国内の神学的な論争により、ギリシャ語本文に近いシリア語聖書作成が必要となった。マボッグのフィロクセヌス(Philoxenus of Mabbog)(西暦523年没)はこうした流れ沿って新約聖書本文、フィロクセヌス訳(the Philoxenian Version)を作成したが、それには明らかにペシタ訳には含まれていないギリシャ語正典の書にとって重要な節や本文入っている。7世紀には標準ギリシャ語に基づくシリア語聖書完全版作成された。シロ・ヘクサプラ(Syro-Hexapla)は(現在オリゲネスが重要した七十人訳オリゲネスヘクサプラ第五に基づくシリア語版である。ハーケルのトマス監修のハーケル訳はギリシャ語新約聖書シリア語訳にかなり近いが、奇妙なことに古シリア語訳の特徴は少ししか含んでいない。こうした翻訳存在するにもかかわらずペシタ訳シリア語母語とする教会の共通の聖書となり、これら技術的な(この当時霊的」と呼ばれた翻訳類のほとんどがシリア神学者閉じ込まれのである東方シリア教会および初期の共通の伝統では、ギリシャ語注釈文のシリア語翻訳家たち(特にMopsuestiaのTheodore作品)は、ペシタ訳本文付随して起こった議論の下、釈義学者議論理解できるように、ギリシャ語本文の正確で字義通りの訳を規定しなければならなかった。

※この「シリア語訳の歴史」の解説は、「ペシタ訳」の解説の一部です。
「シリア語訳の歴史」を含む「ペシタ訳」の記事については、「ペシタ訳」の概要を参照ください。

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