シリア軍の撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 18:24 UTC 版)
2005年4月26日に国際的報道機関と国連はシリア軍と諜報機関はレバノンからの撤退として国境を越えたと報道。シリア政府は、2004年9月に決議された国連決議1559に基づきレバノンから撤退したと公式に国連に通告した。国連への報告の中で、シリア外相ファルーク・シャラは「レバノン側の要請とアラブ地域全体の要請に基づき、レバノン駐在の全てのシリア・アラブ軍及び安全保障機関とその資産の撤退を完了したと、我が国政府は公式に連絡すべく」と発言。4月27日には、レバノン国民はシリア駐屯から解放された初日を祝った。また同日ワシントン・ポストは、アメリカ合衆国、欧州各国及び国連の関係者によるとシリアはレバノンにおける諜報機関のほとんどを撤退させておらず、29年間に亘る内政干渉について終止符を打ったと言う宣言を実行していない、と報道した。5月25日に同様の内容がライス国務長官からも発表された。
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