シリア王国の独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 13:32 UTC 版)
「フランス委任統治領シリア」の記事における「シリア王国の独立」の解説
詳細は「シリア・アラブ王国(英語版)」を参照 3月8日、シリア議会が開会され、同議会はパレスチナ及びレバノンを含む全シリアはファイサルを国王とし、立憲君主制国家として独立することを再度宣言した。イラクについては別にイラク出身議員によりアブドゥッラーを国王とする立憲君主制国家とすることが宣言された。3月16日、アタテュルク率いるアンカラ政府がソ連との単独講和条約であるモスクワ条約を締結。4月、セーヴル条約のもととなったサン・レモ会議(英語版)(1920年4月19日 - 4月26日)でアラブ地域におけるフランス及びイギリスの委任統治範囲が決定された。これにより、シリアはフランスの委任統治領と決定された。これに対し、シリア議会は5月に、完全独立の要求と委任統治拒否を議決した。同月、キリキアの領土獲得を狙うフランスがトルコ・フランス戦争(英語版)を開始。7月はじめ、レバノンに進駐していたフランス軍はダマスカスに向けて進軍を開始し、ファイサルに委任統治受諾等を要求した。ファイサルは独立を主張し激しく反発する議会を解散し、フランスの要求を受け入れることとした。7月23日のマイサランの戦い(英語版)。同日にダマスカスを占領したフランス軍は、28日ファイサルをダマスカスから追放し、ファイサルはイタリアへのがれた。
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