『パルチザン伝説』事件とは? わかりやすく解説

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『パルチザン伝説』事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 04:41 UTC 版)

桐山襲」の記事における「『パルチザン伝説』事件」の解説

1982年左翼による昭和天皇へのテロ計画描いたパルチザン伝説』が第19回文藝賞候補になる。落選したが、1983年同作が『文藝10月号(9月7日発売)に掲載されることになり、これがデビュー作となった桐山は『パルチザン伝説』について、「週刊誌などが煽ることがなければ右翼が動くような作品ではない」と認識し編集者悪質なジャーナリズムフレームアップ警戒すること、作者非公然とすることを申し入れたその後新聞各紙書評載ったが、この時点では右翼動きはなかった(ちなみに、『赤旗』は9月28日号で「権力に泳がされた存在であるニセ「左翼」暴力集団所業への肯定文学の名を以て行われることの危険と弊害厳しく指摘しておきたい」と強く批判している)。発売前の時点で『週刊新潮』が取材動いており、桐山も同誌については警戒していたが、この時点では『週刊新潮』が動いていることは知らされていなかった。 9月26日、『週刊新潮』が編集部桐山コメント求めて来たので、桐山ノーコメント通した9月29日、『週刊新潮10月6日号が発売され、「おっかなビックリ落選させた『天皇暗殺』を扱った小説の『発表』」の表題掲載された。記事正面から桐山非難するものではなかったが、本文で「第二の『風流夢譚事件か」と書き暗に右翼テロ煽動した。さらに、「天皇暗殺」を扱った作品であると強調し、さらに「ある作家」の発言として「文藝賞落ちてすぐのころだったと思うんですが、地下出版されかかったことがあるんです。(中略)(本来の原稿は)天皇に関する表現は、かなりヒドいものでした」というコメント載せた桐山によればこれは全くの嘘で、『文藝掲載にあたり文法上の問題点手を入れたが、天皇制に関する表現はほとんど変わっていない。もちろん、地下出版計画など無い)。『週刊新潮』が発売されると、その日のうちに『文藝』を発行する河出書房新社右翼団体の車が大挙して来襲激しく抗議された(菊タブー)。さらに、桐山伝聞によれば公安警察河出書房新社来訪し、「右翼責任者会わせと言ったら、会った方が良いよ」と伝えたという。右翼は以下の要求行った雑誌回収 作者明らかにすること 河出書房新社謝罪パルチザン伝説単行本化中止 河出書房新社屈服し単行本化中止呑んだ。ただ、桐山身元については口を割らなかった。 桐山河出書房新社責めることは避け次善の策として新潮社右翼公安出版抑圧抗議することを考えた。しかし、彼我力関係から、桐山抗議して極めて小さな影響力しか持てないではないか考え、とにかく『パルチザン伝説』を絶対に出す、そしてそのための刊行する版元探すことにした。桐山目くらましのため、『亡命地にて』を『早稲田文学』に発表し同作沖縄県逃亡中と虚偽情報流した一方有志集まってパルチザン伝説刊行委員会」を作り出版交渉は主に委員会メンバーが行った。 1984年3月20日には第三書館が、桐山許可取らず勝手に同作収録した天皇アンソロジー1』を出版してしまった。桐山にとって、同アンソロジー収録され政治的主張同列視されることは本意ではなく事前に第三書館からの申し入れ断っていたのだが、第三書館事実上海賊版刊行強行した桐山としては、第三書館訴えれば新潮社右翼格好ネタ提供してしまうし、第三書館訴えるならば、真っ先新潮社右翼訴えなければ道理に合わなくなる。それを断念した以上、第三書館だけを訴えるのもおかしい。さらに、桐山作品社からの出版決めていたが、発売ギリギリまで版元伏せておくつもりだった。そうした事情で、桐山は『日本図新聞4月16日号に「『パルチザン伝説』の海難」で第三書館版は海賊版であることを公表し、さらに「絶版要求書」を送付した上のことはできなかった。また、第三書館著作権法違反事件捜査名目で、警察桐山取調に来たが、桐山出版まで身元伏せるため「桐山友人」の振りをして応対した同年6月10日、『パルチザン伝説』は作品社より改め出版された。『週刊新潮』はこれ以上追撃行わず今度右翼による妨害もなかった。しかし、作品社版が絶版になった現在でも、第三書館海賊版刊行続けている。 後に桐山は、『「パルチザン伝説事件』で、この事件について新潮社によって全て引き起こされ事件だったと思います。しかも問題は、新潮社というのが単なる赤新聞でなく、日本一、二を争う文芸出版社であるという点ですね。そういう出版社が、文芸作品圧殺するような煽動自分の手でやったわけです。」(同書119ページ)「要するに、新潮社は<最後検閲官>の役割果たし」(同、29ページ)たと述べている。 事件当時、『週刊新潮』の記事署名記事批判したのは、『新雑誌X』1983年12月号の猪野健治と、『社会新報同年12月23日号の菅孝行のみで、いずれも文壇無関係媒体だった。ほとんどの作家は、大出版社である新潮社に何も言えなかったことになる。

※この「『パルチザン伝説』事件」の解説は、「桐山襲」の解説の一部です。
「『パルチザン伝説』事件」を含む「桐山襲」の記事については、「桐山襲」の概要を参照ください。

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