《スキニー》、《ストラヴィンスキーの泉》、《カリフィア女王の魔法の輪》
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「ニキ・ド・サンファル」の記事における「《スキニー》、《ストラヴィンスキーの泉》、《カリフィア女王の魔法の輪》」の解説
1978年から《タロット・ガーデン》の基礎工事が始まり、基礎ができると、ニキは、現場で制作を開始したため、1980年代はもっぱら《タロット・ガーデン》の巨大彫刻を含む20以上の作品の制作に専念した。1979年から、新たな試みとして、フレームによって構成された《スキニー》シリーズを制作。肺疾患の経験から、作品に「呼吸できる空隙」を作って風通しの良い作品に仕上げ、これを糸で吊るすことで、「空間に線を描く彫刻・絵画」という発想であった。 1980年にポンピドゥー・センターで初めての大規模な回顧展が行われた。「自分の過去20年の作品を見るのはとても刺激的だけれど、同時にまた恐ろしくて苦しい。私の作品は自伝的なものだから、裸にされたような気がする。いろいろな問題があって、芸術は、私にとって治療であったから」と、22歳のときの神経衰弱や精神病院での体験に触れ、以後、立ち止まって「振り返る(回顧する)ことなく生きてきたから」と説明している。 1983年、ポンピドゥー・センター隣のイーゴリ・ストラヴィンスキー広場(フランス語版)の池に設置された彫刻作品群《ストラヴィンスキーの泉》をティンゲリーと共同で制作。ストラヴィンスキーへのオマージュとして制作されたこの彫刻群には、アステカ神話やアメリカ原住民の神話から発想を得た鳥のモチーフによる《太陽神》が含まれる。同じ年にカリフォルニア大学サンディエゴ校のキャンパスでより大規模な《太陽神》を制作した。 同じく1983年に、ロサンゼルス現代美術館(MOCA)の「テンポラリー・コンテンポラリー」(現「ゲフィン現代美術館」)の建設を支援して、絵文字による手紙を作品として発表した。これは、エイズ防止のための教育・意識啓発活動の一環であり、80年代にニキはエイズのために多くの友人を失った。1989年には、《タロット・ガーデン》制作・造園の最初の助手リカルド・ムノンがエイズで亡くなり、ニキは彼のために猫の像を制作した。これは《タロット・ガーデン》内にあるが、同じものがモンパルナス墓地の彼の墓石として置かれ、墓石の前には「あまりにも早く亡くなった、美しく若い、我々の愛する友リカルドへ」と書かれた銘板が添えられている。エイズ防止のための活動としては、この後1990年に息子フィリップと動画を制作し、1994年にはスイスで "Stop AIDS" と書かれた切手をデザインした。 1987年、フランソワ・ミッテラン大統領からの依頼により、彼が22年にわたって市長を務めたシャトー=シノンでティンゲリーとともに《シャトー=シノンの泉》を制作。《ニキ・ド・サン・ファルの泉》として親しまれている。翌1988年にミッテラン大統領により除幕式が行われた。 1991年8月30日、ティンゲリーがベルン(スイス)で死去した。ニキは彼と1971年に正式に結婚し、このときにスイス国籍を取得していたが、私生活で意見が合わなくなって別居し、ティンゲリーはスイスで、ニキは主にフランスとイタリアで暮らしていた。とはいえ、芸術活動では、特に《タロット・ガーデン》にはティンゲリーの作品が数点置かれるほか、彼と彼の彫刻家仲間が作品の土台の溶接を行うなど共同制作を続け、《タロット・ガーデン》にある礼拝堂は、ニキが心臓の手術を受けたティンゲリーのために設計・制作したものである。さらに、ティンゲリーが亡くなった後も、ニキは病気を押して、《タロット・ガーデン》の造園と平行して、バーゼルにティンゲリー美術館(フランス語版)を設立するために尽力した(1996年開館)。 1994年、Yoko増田静江によって栃木県の那須高原にニキ美術館が設立された(2011年8月31日閉館)。ニキによるこの美術館の建築デザインは、その奇抜な造形のために国立公園法による厳しい規制に触れて実現しなかった。 2000年に高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)を受賞した。 同年、ニキは健康上の理由から、カリフォルニア州サンディエゴ市のラホヤに居を定め、ここにアトリエを建設して制作を続けた。2001年にヘレンハウゼン王宮庭園(ドイツ)のグロッテ(洞窟)の3つの部屋を修復した。もともと貝殻、水晶、鉱物で飾られていたが18世紀に取り除かれていたため、ニキがこれをナナ像やガラスのモザイクで再設計した。 最後の大規模な作品は、エスコンディード(カリフォルニア州サンディエゴ郡)の《カリフィア女王の魔法の輪》で、カリフォルニアの歴史、神話、伝説、アメリカ先住民、メソアメリカ文化、原生植物・動物の調査に基づく彫刻作品群(彫刻庭園)である。だが、ヘレンハウゼン王宮庭園のグロッテ(洞窟)も《カリフィア女王の魔法の輪》も完成を見ることなく、2002年5月21日にラホヤで死去。享年71歳。孫娘のブルーム・カルデナスが、長年ニキの助手を務めた芸術家らとともにこれらを完成させた。
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