《スカイラーク》シリーズ
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「E・E・スミス」の記事における「《スカイラーク》シリーズ」の解説
1919年、スミスはミシガン州ヒルズデールのF・W・ストック&サン社の主任化学者として働くようになった。技師長としてドーナッツ・ミックス・パウダーの研究開発を行う。同社はミシシッピ川以東では有数のドーナッツ用の製粉工場だった。 1919年後半、ミシガン州に引っ越した後でスミスは妻が映画を見に行っている晩に赤ん坊(おそらく長男)の子守をしていた。そのとき『宇宙のスカイラーク』の執筆を再開し、1920年春に完成させた。彼はその原稿を多数の出版社や雑誌社に送り、最終的に得た原稿料よりも切手代のほうが高くついたという。1922年、アーゴシー誌の編集者ボブ・デーヴィスは、個人的には好きなのだが同誌の読者には話が壮大すぎるという断わりの返事を送っている。(Warner 1938) だけは、最初の原稿が売れる前にスミスが続編『スカイラーク3号』に取り掛かったとしている。最終的に1927年4月、『宇宙のスカイラーク』はアメージング・ストーリーズ誌に売れた。当初原稿料は75ドルだったが後に125ドルに上がった。作品は1928年の8月号から10月号に連載された。評判は上々で、編集長T・オコンナー・スローンは連載2回目の出版前に続編を依頼している。 ガービー夫人はそれ以上の共作を望まず、『スカイラーク3号』はスミス1人で書き始め、アメージング誌1930年8月号から10月号に連載された。そのころスミス夫妻はミシガン州ヒルズデールに住んでいた。スミスは《スカイラーク》シリーズを前作で完結させたつもりだったが、アメージング誌の投書欄に多数の賞賛の手紙が掲載され、さらに続編を書くことになった。原稿料はアメージング誌のそれまでの最高記録だった1語半セントを更新し、1語4分の3セントとなった。 SFの舞台が一気に太陽系外・銀河系スケールにまで拡大したのは、スミスの『スカイラーク』シリーズ、そして『レンズマン』シリーズの功績といって良いだろう。
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The Skylark of Space (宇宙のスカイラーク,宇宙船スカイラーク号,宇宙船スカイラーク,宇宙の超高速船)1915年-1920年執筆。1928年雑誌掲載。 Skylark Three (スカイラーク3号,スカイラーク3)1930年 Skylark of Valeron (ヴァレロンのスカイラーク,バレロンのスカイラーク)1934年 Skylarke DuQuesne (スカイラーク対デュケーヌ,スカイラーク・デュケーン)1965年
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