化学者としての経歴と《スカイラーク》シリーズの始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 13:44 UTC 版)
「E・E・スミス」の記事における「化学者としての経歴と《スカイラーク》シリーズの始まり」の解説
大学卒業後は国立標準局 (NBS) で化学者として働くようになり、ワシントンD.C.に引っ越した。NBSではバターや牡蠣の品質規格制定などに従事。第一次世界大戦には召集され陸軍中尉で従軍したが、どういう任務についていたかは不明である。妻には自分以外に頼る者がいないということと、化学者として戦争に寄与できるという考えから、スミスは徴兵免除を申請したと見られている。 1915年のある晩、アイダホ大学で同級生だったカール・ガービー博士がワシントンD.C.に引っ越してきたということでスミス家を訪問した。引っ越してきた場所がスミス家のすぐ近くだった。そして宇宙空間への旅について長く話しこんだ。ガービーは恒星間航行についての空想的な物語とアイデアを書いてみるべきだとスミスに提案した。スミスはそれに興味を抱いたが、実際に書くとなれば若干のロマンチックな要素も必要だろうし、そういうことは得意ではないと思った。 するとガービー夫人が恋愛要素やロマンチックな台詞について協力すると申し出、スミスは書いてみることにした。主要登場人物は彼ら自身をモデルにしている。シートンはスミス本人がモデルで、クレイン夫妻はガービー夫妻がモデルである。『宇宙のスカイラーク』の3分の1ほどは1916年末までに完成したが、スミスとガービーは徐々にその作業をしなくなっていった。 スミスはジョージ・ワシントン大学でチャールズ・モンロー (en、「モンロー効果」のモンローである) の下で学び、1917年に化学の修士号を取得。1918年には化学工学でPh.D.を取得。学位論文は食品工学に関するもので題名は The effect of bleaching with oxides of nitrogen upon the baking quality and commercial value of wheat flour](窒素酸化物による漂白で小麦粉の品質と商品価値を高める効果)であり、1919年に出版された。(Warner 1938) やFleischerのサイトでは、論文タイトルを The Effect of the Oxides of Nitrogen upon the Carotin Molecule — C40H56 としている。また、サム・モスコウィッツは博士号取得を1919年としている。これは、論文を提出した日付、審査された日付、博士号が与えられた日付の違いを反映したものと見られる。なお、ドクの名はこの博士号取得によるものである。
※この「化学者としての経歴と《スカイラーク》シリーズの始まり」の解説は、「E・E・スミス」の解説の一部です。
「化学者としての経歴と《スカイラーク》シリーズの始まり」を含む「E・E・スミス」の記事については、「E・E・スミス」の概要を参照ください。
- 化学者としての経歴と《スカイラーク》シリーズの始まりのページへのリンク