第37回NHK紅白歌合戦
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ゲスト出演者
藤田・浅茅・沢口は連続テレビ小説の歴代のヒロイン(藤田『あしたこそ』、浅茅『雲のじゅうたん』、沢口『澪つくし』)。
中継アナウンサー
- 後藤繁榮(札幌放送局):北海道勇払郡占冠村。
- 後藤順一(青森放送局):青森県黒石市。
- 宮川泰夫(東京アナウンス室):東京都台東区浅草。
- 堀江威光(津放送局):三重県度会郡二見町(現・伊勢市)。
- 上田早苗(大阪放送局):大阪府大阪市南区(現・中央区)。
- 野瀬正夫(広島放送局):広島県佐伯郡宮島町(現・廿日市市)。
- 徳田章(松山放送局):愛媛県松山市。
- 黒沢保裕(長崎放送局):長崎県長崎市。
脚注
参考文献
- NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
関連項目
- 1986年の音楽
- 世界紅白歌合戦 - 1985年・86年の2年間フジテレビ系列で『夜のヒットスタジオ』のスペシャル企画として『紅白歌合戦』の真裏で放送された(1985年は火曜日だったため『夜ヒット』扱いではなく『火曜ワイドスペシャル』の一つとして)。総合司会は芳村真理・古舘伊知郎・谷村新司。
外部リンク
- NHK紅白歌合戦公式サイト
- 第37回NHK紅白歌合戦 - NHK放送史
- NHK総合「紅白歌合戦」 - ビデオリサーチ。1962年(第13回)以降のテレビ視聴率を掲載。
- 紅白歌合戦曲順リスト | NHK
注釈
- ^ 出場歌手+NHKアナウンサーによる両組司会2人体制は今回のみである。その後第54回(2003年)では、NHKアナウンサー同士による両組司会2人体制が採られた。
- ^ この年放送を開始し、1989年3月まで放送。加山は以後第39回〈1988年〉まで3年連続で白組司会を担当することとなる。
- ^ なお聖子は今回の出演直前、TBS系列『第28回日本レコード大賞』で「SUPREME」がアルバム大賞に受賞された際、久々に公の舞台へ登場していた。
- ^ 当年8月31日限りで引退(それから15年後の2001年末・第52回NHK紅白歌合戦で復帰)。
- ^ a b c 下記の事情による落選のため。
- ^ NHK番組への出演を自粛中のため。
- ^ 後述の出場辞退により。
- ^ NHKは2人が自ら辞退したと主張しているが、黒い交際発覚直後北島は「(出演の)判断はNHKさんに任せる。自分から辞退はない」と語っていた[3][4]。
- ^ 2008年には暴力団組長が関係するゴルフコンペに出席していたことが発覚し、同年の第59回は早々に落選となった。
出典
- ^ “15時間ワイド日本列島大みそか ―第5部― 第37回NHK紅白歌合戦”. 2020年2月6日閲覧。
- ^ “番組表検索結果”. 2020年2月6日閲覧。
- ^ a b 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』
- ^ a b 『週刊現代』1986年10月18日号、44頁。
- ^ 『週刊女性』1986年11月11日、36頁。
- ^ 『微笑』1986年11月15日号、251頁。
- ^ 『女性自身』1986年11月11・18日合併号、244頁。
- ^ 合田『紅白歌合戦の真実』、181頁。
- ^ 『紅白50回』、87頁。
- ^ “東山紀之、紅白“仮面ライダー事件”は「マッチさんのせい?」”. スポーツニッポン. (2014年7月24日) 2019年7月14日閲覧。
- ^ “紅白に出る意味がある歌手、ない歌手。NHK紅白歌合戦にまつわるトリビア”. 扶桑社. 日刊SPA!. 2021年12月31日閲覧。
- ^ “東山紀之、伝説の紅白歌合戦での「仮面ライダー」事件でジャニー喜多川社長の言葉明かす…「加山さんに感謝しなよ」”. スポーツ報知. (2019年7月14日) 2019年7月14日閲覧。
- ^ 『紅白50回』のインタビュー
- ^ 合田『紅白歌合戦の真実』、182頁。
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