神戸製鋼所
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事業部門・主な製品
- 鉄鋼アルミ事業部門
- 溶接事業部門
- 溶接材料
- 溶接システム
- 素形材事業部門
- 機械事業部門
- エンジニアリング事業部門
- 製鉄プラント関連
- 原子力プラント・機器
- 砂防・海岸防災(フレア護岸)製品
- 騒音振動エンジニアリング
- 都市交通システム
- エネルギー・化学プラント
- 電力事業部門
- 電力卸供給
歴代社長
代 | 氏名 | 在任期間 | 在任年月 | 出身校・前歴 |
---|---|---|---|---|
初代 | 黒川勇熊 | 1911年(明治44年)6月 - 1915年(大正4年)7月 | 4年1か月 | 横須賀海軍造船学校 / フランス海軍大学[5]
・元佐世保海軍造船艦長 |
第2代 | 鈴木岩治郎 | 1915年(大正4年)7月 - 1920年(大正9年)12月 | 5年5か月 | |
第3代 | 伊藤乙次郎 | 1920年(大正9年)12月 - 1928年(昭和3年)3月 | 7年3か月 | 海軍大学校・元海軍技術本部長 |
第4代 | 永安晋次郎 | 1928年(昭和3年)3月 - 1934年(昭和9年)8月 | 6年5か月 | 東京帝国大学法科大学[6]・元海軍主計中将 |
第5代 | 田宮嘉右衛門 | 1934年(昭和9年)8月 - 1945年(昭和20年)9月 | 11年1か月 | 高等小学校[7] |
第6代 | 浅田長平 | 1945年(昭和20年)9月 - 1946年(昭和21年)12月 | 1年3か月 | 京都帝国大学理工科大学採鉱冶金科[8] |
第7代 | 町永三郎 | 1946年(昭和21年)12月 - 1952年(昭和27年)11月 | 5年11か月 | 大阪工業大学(現・大阪大学工学部) |
第8代 | 浅田長平 | 1952年(昭和27年)11月 - 1958年(昭和33年)11月 | 6年 | 京都帝国大学理工科大学採鉱冶金科 |
第9代 | 外島健吉 | 1958年(昭和33年)11月 - 1972年(昭和47年)5月 | 13年6か月 | 京都帝国大学工学部 |
第10代 | 井上義海 | 1972年(昭和47年)5月 - 1974年(昭和49年)11月 | 2年6か月 | 東京帝国大学法学部 |
第11代 | 鈴木博章 | 1974年(昭和49年)11月 - 1976年(昭和51年)9月 | 1年10か月 | 京都帝国大学法学部 |
第12代 | 杉澤英男 | 1976年(昭和51年)9月 - 1977年(昭和52年)10月 | 1年1か月 | 京都帝国大学工学部 |
第13代 | 高橋孝吉 | 1977年(昭和52年)10月 - 1983年(昭和58年)6月 | 5年8か月 | 大阪帝国大学理学部 |
第14代 | 牧冬彦 | 1983年(昭和58年)6月 - 1987年(昭和62年)6月 | 4年 | 東京帝国大学法学部政治学科 |
第15代 | 亀高素吉 | 1987年(昭和62年)6月 - 1996年(平成8年)6月 | 9年 | 神戸経済大学(現・神戸大学) |
第16代 | 熊本昌弘 | 1996年(平成8年)6月 - 1999年(平成11年)3月 | 2年10か月 | 東北大学法学部 |
第17代 | 水越浩士 | 1999年(平成11年)4月 - 2004年(平成16年)3月 | 5年 | 東京大学経済学部 |
第18代 | 犬伏泰夫 | 2004年(平成16年)4月 - 2009年(平成21年)3月 | 5年 | 大阪大学経済学部経済学科 |
第19代 | 佐藤廣士 | 2009年(平成21年)4月 - 2013年(平成25年)3月 | 4年 | 九州大学大学院修士課程冶金学専攻 |
第20代 | 川崎博也 | 2013年(平成25年)4月 - 2018年(平成30年)3月 | 5年 | 京都大学大学院工学研究科 |
第21代 | 山口貢 | 2018年(平成30年)4月 - 2024年(令和6年) | 6年 | 北海道大学法学部 |
第22代 | 勝川四志彦 | 2024年(令和6年)4月 - 現職 | 神戸商科大学商経学部 |
沿革
明治時代
- 1905年(明治38年)9月1日 - 合名会社鈴木商店が小林清一郎経営の小林製鋼所を買収、神戸製鋼所として創業。
- 1906年(明治39年)10月1日 - 鈴木商店に入社した田宮嘉右衛門が初代支配人となる。
- 1911年(明治44年)6月28日 - 鈴木商店から独立。鈴木商店全額出資の下、株式会社神戸製鋼所として発足。
- 1912年(明治45年)3月- ドリルの製造開始。
大正時代
- 1914年(大正3年)7月 - 大戦勃発によりクランクシャフトの注文殺到。
- 1915年(大正4年)8月 - 日本海軍から魚雷発射管用空気圧縮機の開発要請。国産初の空気圧縮機。機械系事業の起源となる。
- 1916年(大正5年)
- 3月 - 合名会社鈴木商店が播磨船渠株式会社を買収し、播磨造船所と改称。
- 8月 ‐ 鉄鋼圧延を開始。鉄鋼事業の起源となる。
- 1917年(大正6年)7月 - 門司工場新設。銅の管・棒の製造開始。
- 1918年(大正7年)1月 - 東京出張所開設。
- 1920年(大正9年)2月 - 西海岸工場(後の神戸製鉄所脇浜地区)新設。
- 1921年(大正10年)2月 - 帝国汽船より鳥羽工場・播磨造船所を移管。
- 1923年(大正12年)4月 - 我が国初のセメント用粉砕機を製作・納入。
- 1924年(大正13年)
- 2月 - 海岸地区に工場新設。
- 4月 - 大阪出張所開設。
- 1926年(大正15年)4月 ‐ 日本初のセメントプラントを完成。エンジニアリング事業の起源となる。
昭和時代
- 1927年(昭和2年)4月 ‐ 鈴木商店が破綻。
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)9月 - 国産初の電気ショベルを完成。建機事業の起源となる。
- 1931年(昭和6年)3月 - 重要産業統制法が施行。
- 1937年(昭和12年)
- 1月 - 東京、大阪、神戸の各取引所に株式を上場。
- 2月 ‐ 名古屋工場を新設。アルミ鋳鍛造事業を開始。アルミ事業の起源となる。
- 1939年(昭和14年)10月 - 長府工場(現・長府製造所)新設。アルミ圧延品の製造開始。
- 1940年(昭和15年)6月 - 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の鉄鋼需給統制規則により、日本磨鋼鈑工業組合連合会が統制団体に指定[9]。
- 1940年(昭和15年)7月 - 国内初の溶接棒を製造。溶接事業の起源となる。
- 1941年(昭和16年)3月 - 山田工場新設。
- 1942年(昭和17年)4月 - 大久保工場新設。
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 1月 - 能登工場新設。
- 同月 - 軍需会社の指定を受ける。
- 4月 - 松阪工場新設。
- 1945年(昭和20年)5月 - 高知電気冶金工業から高知工場を移管。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)5月 - 能登工場閉鎖。
- 1951年(昭和26年)5月 - 長門北工場新設。
- 1953年(昭和28年)9月 - 旧大阪陸軍造兵廠播磨製造所の払い下げを受け、高砂工場(現・高砂製作所)新設。
- 1954年(昭和29年)
- 3月 - 神鋼鋼線索(現・神鋼鋼線工業)を設立、尼崎工場を譲渡。
- 6月 - 琺瑯部を神鋼フアウドラー(現・神鋼環境ソリューション)として分離。
- 1955年(昭和30年)12月 ‐ 国内初となる金属チタンの工業生産を開始。
- 1957年(昭和32年)
- 1月 - 神鋼金属工業を合併。
- 2月 - 工事部を神鋼工事として分離。
- 1959年(昭和34年)1月 - 神戸製鉄所灘浜地区を新設、高炉火入れ。銑鋼一貫体制を確立。
- 1960年(昭和35年)9月 ‐ ニューヨーク事務所を開設。北米での事業展開を開始。
- 1961年(昭和36年)
- 3月 - 藤沢工場新設。
- 10月 - 茨木工場新設。
- 1962年(昭和37年)
- 1月 ‐ 東パキスタン向け肥料工場の建設を完了。日本初のプラント輸出。海外プラント事業の起源となる。
- 3月 - 山手工場を茨木工場に統合。
- 5月 - 明石工場新設。
- 1965年(昭和40年)4月 - 尼崎製鉄を吸収合併、同社の尼崎工場・堺工場・呉工場を移管。
- 1966年(昭和41年)10月 - 日新製鋼に堺工場を譲渡。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 4月 - 「Thai Kobe Welding Co., Ltd.」を設立。海外での製造拠点設立を開始。
- 加古川工場新設。
- 1969年(昭和44年)8月 - 真岡工場(現・真岡製造所)新設。
- 1970年(昭和45年)
- 3月 - 加古川製鉄所を新設。高炉火入れ。
- 7月 - 西条工場新設。
- 1971年(昭和46年)9月 - 福知山工場新設。
- 1976年(昭和51年)8月 ‐ 「Singapore Kobe Pte. Ltd.」を設立。東南アジアでの事業展開を開始。
- 1977年(昭和52年)2月 ‐ シャルジャ事務所(UAE)を開設。中東での事業展開を開始。
- 1979年(昭和54年)9月 ‐ 国際統一営業標識として「KOBELCO」を制定。
- 1983年(昭和58年)8月 ‐ 米国ミドレックス社を買収。還元鉄/新製鉄プラントビジネスを開始。
- 1984年(昭和59年)
- 3月 - 高知工場閉鎖。
- 7月 ‐ 「涿神有色金属加工専門設備有限公司」を現地との合弁で設立。中国での事業展開を開始。
- 1987年(昭和62年)
- 10月 - 尼崎工場閉鎖。
- 11月 - 呉工場閉鎖。
- 12月 - 播磨工場新設。
- 1988年(昭和63年)
- 4月 - 門司工場を神鋼メタルプロダクツ株式会社に分社独立化
- 9月 - 日高工場閉鎖(現・フジテックエスカレーター事業部「ビッグステップ」)。
平成時代
- 1990年(平成2年)12月17日 - 神鋼アルコアアルミを設立。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)4月1日 - 特殊鋼鋼管事業を分離し神鋼特殊鋼管(後のコベルコ鋼管)を設立。切削工具事業(明石工場)を分離し神鋼コベルコツールを設立。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 4月1日 - 川崎重工との破砕機部門統合会社アーステクニカを設立。
- 10月1日 - 環境ビジネス部門を神鋼環境ソリューションに統合。溶接用ワイヤ部門(福知山工場)をJFEスチールと共同出資で設立したKOBE・JFEウェルディング(現・福知山工場)に譲渡。アルミ缶事業を行う神鋼アルコアアルミを吸収合併。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 銅管事業(秦野工場)を分離、コベルコマテリアル銅管を設立。エンジニアリングカンパニーと機械カンパニーを統合、機械エンジニアリングカンパニーが発足。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 不動産カンパニーを神鋼不動産に統合。
- 2006年(平成18年)
- 4月 - 神戸製鋼グループの商標「KOBELCO」を制定。
- 11月 ‐ コベルコ建機が「Kobelco Construction Equipment India Pvt. Ltd.」を伊藤忠商事との合弁で設立。インドでの事業展開を開始。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 川崎重工との破砕機部門統合会社アーステクニカの全保有株式を川崎重工に譲渡。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)4月1日 - 溶接事業部門の関連会社であったKOBEウェルディングワイヤ株式会社(現・福知山工場)を吸収合併。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 神戸市中央区脇浜海岸通二丁目2番4号に本社を移転。
- 2016年(平成28年)4月 ‐ 電力事業部門を新設。
- 2017年(平成29年)10月31日 - 神戸製鉄所の高炉を停止。1959年1月以来58年10か月続いた高炉の火が消えた[4]。
令和時代
- 2020年(令和2年)4月1日 - コベルコ鋼管の全株式を丸一鋼管に譲渡(現・丸一ステンレス鋼管)。
- 2021年(令和3年)
- 5月13日 - 大阪チタニウムテクノロジーズの保有株式の一部を売却し、持分法適用関連会社から除外。
- 11月1日 - 神鋼環境ソリューションを完全子会社化。
- 12月1日 - 神鋼建材工業が日鉄建材の道路関連事業を吸収分割により継承。神鋼建材工業は日鉄神鋼建材に商号変更し、日鉄建材の連結子会社及び神戸製鋼所の持分法適用関連会社となる。
- 2022年(令和4年)
- 3月31日 - コベルコ マテリアル銅管の保有全株式を丸の内キャピタル傘下のエムキャップ七号株式会社へ譲渡(現・KMCT)。
- 4月1日 - 神鋼メタルプロダクツの保有全株式を丸の内キャピタル傘下のエムキャップ七号株式会社へ譲渡(現・門司メタルプロダクツ)。
注釈
- ^ 神戸製鋼所が25%の株式を保有。
- ^ 社長は町井久之。会長には児玉誉士夫が就いた。
- ^ 那須白河高原。通称「台上開拓地」。1962年に反あたり5万円で国有地を払い下げて77戸の開拓者を入植させていた。このとき、営農資金が融資された。やがて返済に困った入植者から、反あたり12万円前後で東亜相互企業が買い上げていった。
- ^ 東亜相互企業から小田倉の土地を買った企業は、神戸製鋼の他に、ロッテ、住友建設、住友不動産、東海興業、日商岩井、野村住宅産業などがある。
- ^ 神戸製鋼は購入のために日本不動産銀行から15億円の融資を受けていた。
- ^ この土地は一部切り売りした後も1974年時点で51万m²を活用しないまま放置していた。
出典
- ^ 四半期報告書(第166期第2四半期)
- ^ 田中彰「六大企業集団の無機能化 : ポストバブル期における企業間ネットワークのオーガナイジング」、『同志社商学』64巻5号、同志社大学商学会、doi:10.14988/pa.2017.0000013201、NAID 110009605659 pp. 330-351
- ^ “メンバー会社一覧”. みどり会. 株式会社みどり会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ a b c “神鋼 神戸の高炉31日停止 製鉄の火燃やし59年”. 神戸新聞. (2017年10月31日) 2017年10月31日閲覧。
- ^ 黒川勇熊 - コトバンク
- ^ 永安晋次郎 - コトバンク
- ^ 田宮嘉右衛門 - コトバンク
- ^ 浅田長平 - コトバンク
- ^ 『1940年6月14日官報』、商工大臣藤原銀次郎。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、131頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P150-157
- ^ 神戸製鋼株主訴訟が和解 橋梁談合、コンプラ委も設置 産経新聞 2010年2月10日
- ^ 神戸製鋼が選挙資金肩代わり 地方選2700万円 社長と会長辞任へ 産経新聞 2009年2月10日
- ^ 所得隠し:神鋼が7年間で4億円、申告漏れは29億円 毎日新聞 2009年9月19日
- ^ 神戸製鋼グループで29億円申告漏れ 産経新聞 2009年9月18日
- ^ . 神戸製鋼:9億円所得隠し 大阪国税局指摘 毎日新聞 2011年7月16日
- ^ 神戸製鋼所、11億9千万円申告漏れ…国税指摘 読売新聞 2013年6月28日
- ^ 神戸製鋼グループ会社、バネ用鋼材の強度改ざん 読売新聞 2016年6月9日
- ^ MSNマネー - 神戸鋼株が連日の大幅安、鉄粉などでもデータ改ざんか-影響懸念 (2)
- ^ 日本経済新聞 - 神戸製鋼副社長「改ざん、10年近く前から」 一問一答 管理職も把握、組織ぐるみ認める 2017/10/8 18:23
- ^ 「新日鉄住金社長「できることあればする」 神鋼問題」日本経済新聞2017/10/17 23:00 [有料会員限定]
- ^ “神戸製鋼 最終報告書の要旨”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2018年3月6日). 2018年3月6日閲覧。
- ^ 『当社グループにおける不適切行為に関するご報告』(プレスリリース)神戸製鋼所、2018年3月6日 。2018年3月6日閲覧。
- ^ “データ改ざん、神鋼を起訴 担当者4人は不起訴 東京地検特捜部”. 神戸新聞 (2018年7月19日). 2022年1月10日閲覧。
- ^ “データ改ざんで神戸製鋼に罰金1億円判決”. 朝日新聞 (2019年3月13日). 2022年1月10日閲覧。
- ^ 阪神甲子園球場マウンド広告に神戸製鋼所が初協賛
固有名詞の分類
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