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伊藤乙次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 13:51 UTC 版)

伊藤乙次郎

伊藤 乙次郎(いとう おとじろう、1866年12月2日慶応2年10月26日〉 - 1941年昭和16年〉3月27日)は、日本海軍軍人海軍中将従三位勲一等功四級海兵13期首席海大将校科1期優等。

経歴

尾張藩士伊藤久敬の息子として生まれる。愛知一中攻玉社を経て、1886年12月、海軍兵学校13期生)を首席で卒業し、1888年4月に海軍少尉任官。日清戦争では「比叡」航海長として出征した。海軍大学校では、丙種で学び、1897年12月、将校科(1期)を優等で卒業し、さらに選科でも学んだ。

その後、海軍省軍事課課僚、軍務局第1課局員、常備艦隊副官参謀、「常磐」航海長、「須磨」副長、「笠置」副長、ドイツ駐在などを歴任。

日露戦争時は、台中丸乗組、佐世保鎮守府付、軍務局先任局員であった。「浅間艦長ドイツ大使館付武官などを経て、1911年12月、海軍少将に進級。水路部長、佐世保鎮守府参謀長、佐世保工廠長を歴任し、1915年12月、海軍中将となった。呉工廠長、技術本部長、将官会議議員を経て、1920年12月、予備役に編入された。後、神戸製鋼所社長、海防義会理事長に就任した。

1941年3月27日薨去享年76歳。墓所は青山霊園1-イ-20-2。戒名は顕達院殿釈温存大居士宗教仏教浄土真宗)。

栄典

位階
勲章等

親族

  • 妻 伊藤静江(加茂厳雄海軍機関中将の妹)

脚注

  1. ^ 『官報』第2379号「叙任及辞令」1891年6月6日。
  2. ^ 『官報』第2617号「叙任及辞令」1892年3月24日。
  3. ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
  4. ^ 『官報』第5230号「叙任及辞令」1900年12月6日。
  5. ^ 『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
  6. ^ 『官報』第8021号「叙任及辞令」1910年3月23日。
  7. ^ 『官報』第813号「叙任及辞令」1915年4月21日。
  8. ^ 『官報』第2517号「叙任及辞令」1920年12月21日。
  9. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  10. ^ 『官報』第3866号・付録「辞令」1896年5月21日。
  11. ^ 『官報』第5613号「叙任及辞令」1902年3月25日。
  12. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  13. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
  14. ^ 『官報』第979号「叙任及辞令」1915年11月4日。
  15. ^ 『官報』第1156号「叙任及辞令」1916年6月9日。
  16. ^ 『官報』第2660号「叙任及辞令」1921年6月14日。
  17. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。




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