賀茂水穂とは? わかりやすく解説

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賀茂水穂

読み方かも みずほ

幕末明治時代国学者神職。号廼舎。狩谷竹鞆の門に入り国学和歌修める。のち能登の国中社(現、大社気多神社靖国神社宮司となる。著書に『神風余響』『志北能屋集』がある。明治42年(1909)歿、70才。

賀茂水穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/13 02:04 UTC 版)

賀茂水穂(かも の みずほ、天保11年5月12日1840年6月11日〉 - 明治42年〈1909年2月28日)は、日本海軍軍人、神職旭日章従五位

生涯

遠江国浜名郡の代々神職の家に生まれた。賀茂備後直章と称する。賀茂真淵の末裔。慶応4年(1868年2月23日、兄である山本金木らと共に遠州報国隊を組織し、有栖川宮熾仁親王の麾下に入り先鋒となって戊辰戦争における東征に参加。

明治7年(1874年)に海軍省に出仕、海軍少秘書となり佐賀の乱に従軍。海軍大秘書を経て海軍大主計(秘書科が主計科に統合されたことによる)。

明治24年(1891年)から明治42年(1909年)まで靖国神社2代目宮司を務めた。墓所は青山霊園

家族

参考文献

  • 『大村益次郎先生事蹟』同書刊行会、1919年

脚注

  1. ^ 賀茂厳雄『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]


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